今アニメは面白いか

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これだけ今自分が消費しているわけだけど、面白いのかどうか?
その一つに、物語が冒険しているか?というようなことを考える。それが面白さのすべてと言わないけれど、一端にはなっていた。
NGナイトラムネとか、魔神英雄伝ワタルとか。冒険や戦いや敵という目的意識を持った物語は、今いくつあるのだろう。
冒険遊記プラスターワールド、なんて、冒険とタイトルにあるけれど、本当に冒険しているんだろうか。果たされなければいけない使命はないし、敵も、マイナスターと言うのはいるけれど、嫌がらせ集団のようであって敵には見えない。
一番冒険と敵に関係あるのは、エアマスターにしか見えない。マキが強い敵を求め、瞳孔が締まる時、一番の冒険に立ち向かっているように見える。
次点はカレイドスター、夢に向かっていることが一番冒険に挑戦しているように見える。
たまには単純で快活な冒険物語を鑑賞したいと思うんだけど、どうしてこんな事になっちゃったんだろう。
ああ、ぴちぴちピッチは敵がいたっけ、あーあ……
なんだか今は屈託した物語ばかりだ。
http://kodansha.cplaza.ne.jp/gainax/anno_3rd_top.html
アンノ監督三回目。個人的なメモ代わり

何でも、今歌われている流行りの歌っていうのはみんな歌詞がわかりやすいそうですね。僕は流行りの歌を聴かないんでわからないですけど、歌詞で「友達は大切だ」とか、わざわざ口にしなくてもいいようなことを口にして、それがヒットして受けていると。「友達が大切」って、それは当たり前のことじゃないですか(笑)。歌詞にする必要なんかないんですよ。そういうのを聞くとああ、もういよいよダメになってきたかと感じます。「エヴァ」やってた頃、'90年代なら、まだもうちょっと表現に余裕があったと思うんですけど、それがいよいよなくなって来た感じがします。
確かに。あからさまにわかりづらいですね。
それは、『赤毛のアン』でいっていたような「想像する余地の楽しさ」を提示したかったんです。あの当時は、なんでもかんでも攻略本やマニュアル本が発売されていて、デートひとつするにもマニュアルがないとできないし、ゲームひとつクリアするのにも攻略本がないとできないという風潮でした。まるで人間のつくったものにはすべて解答、答えがあるというようにですね。でも、それはどうかと。現実の世界では、答えは仮説も含めて多様化しているわけじゃないですか。その人にとっての答えがあるというだけで。
これは設問があれば必ず答えが一つ用意されているという、日本の今の教育も良くないと思います。例えば、現国の問題なんかもそうですよね。文章を読ませて「傍線のところを作者がどう考えているか40字以内で書け」なんていう設問が出る。僕は作者じゃないのでそういうのはわかりません、それに作品全体じゃなくてその数行だけを抜粋されたものを読んでも、作者がどういう気持ちで書いたかなんてわかりません。推論すればこういうことかもしれませんが、これは答えとは限りませんというのが本来の解答だと思いますけど、それを書いたら日本だとバツになりますよね。
日本だと、一つの模範解答がオールでベスト的な発想で、算数でも2×5はなに、という問題を出すでしょう。ヨーロッパのどこかの教育ではそうではないそうですね。何と何を掛けたら10になるか、それをいくつ思いつけるかという出題の仕方をする。それが算数だそうです。日本では基本的にミスをしない人間が優秀という減算式のテストですね。まずそもそも100点満点という模範があって、ミスをしなかった人が100点を取る。しかしこれが別の発想の教育ならば、100点の人もいれば、それを超えて200点の人もあり得るわけです。しかし日本では200点の人は評価されないんですよ。
エヴァ」のときは、そういう風潮の中で、与えられたものすべてに答えがあるという感覚はいかがなものかと考えていました。思いついた人の分だけ答えがあるようなものにしたかったんですよ。答えはこちらが用意するものではなく、皆さんの中にあるものすべてがオッケーと。今もそうですけど、その頃はどんどん想像力というものが社会から欠落していっていたと思います。自分で考えないほうが、圧倒的にラクですから。しかし想像する快楽っていうものも、誰にでもあるはずだと思うんですよ。だから作品の中に想像する余地を残したんです。ブラックボックスをワザとあっちこっちにつくっておいて、しかもそのブラックボックス自体も組み合わせによっていろいろな解釈ができるようにしておく。この言葉もあてはまるけど、これもあてはまるじゃんという、答えがいくつもあるクロスワードみたいな楽しさですね。あからさまに矛盾する部分も入れておきました。
実際に当時皆、そのブラックボックスをあれこれ想像することを存分に楽しみました。
かといって僕もゲームをやるときは、攻略本がないとやりませんけど(笑)。

確かに想像する楽しさがない作品が多いと感じる。ステルヴィアの意味づけを考えるのはそれはそれで面白味はある。テクノライズラストエグザイルは多少面白い。(ただそれは、情報を明かさないだけであって、色々想像してもらおうという作為とは別物と感じる)

エヴァ」をやっていたときのテーマのようなものに「作品にプライドを持つ」っていうのがあったんです。それだけは頑張ろうと。褒めるにしてもけなすにしてもですね、そこで「エヴァ」という言葉を口に出した人が、世間で恥ずかしい思いをしない作品にしたいという想いですね。
たとえば職場で「昨日のエヴァンゲリオン、つまんなかったよね」という話をしていて、知らない人に「なにそれ」と訊かれて「今こういうアニメがある」と。それで教えられた人が「そんなアニメがあるのならちょっと観てみるか」と観たときに、そこでその人が気に入るか気に入らないかは別として「なんだ、あんな幼稚なものは」と思わないような作品にしたかったんです。やはり総じてアニメは基本的には子供っぽいというか、稚拙なものではあるんです。精神的に大人になっている人は観る必要を感じないと思いますから。と、いいながらも世間に対してせめて、一抹のプライドを持ちたいなと。2万人のアニメファンがこれで喜んでくれればいい、だけではなくベクトルを少しでも外に向けたいということだけなんですけど。しかし結果としては、最後はアニメファンに受ける方向にいってしまったので、結局自分もおたくだなと思いますが(笑)。

人にすごいと勧められる作品がない。今はエアマスターぐらいしか。ガドはオタ的には作品の水準的には進められるけれど、普通人には辛い。