熱血で行こう

このところ、アニメ作品は、あと三、四回とか、いわゆる佳境クライマックスに入ってきているはずなんですが、なんかそれにしては、身が入らない前のめりになるような感じが少ないと感じませんか?
とか思ったりしたことなんですけど、今日のSEEDなんかを見ていて感じたんですけど、どうですか、今日のSEEDとか。
「もう無理だよキラ」「そうだねえ」みたいに帰っちゃって、これどうですか、仮にも主人公のヒロインに対する行動として。まあ、地球軍とはいえ、取って食うわけじゃないし、バジルールさんのところだし、放浪軍のところにいるよりは安全かもしれないし、なにも確保に躍起になる必然性はないんですけど。それに加えて、たぶん観客には、どうしてもキラが助けることを成功させたいと思うようなヒロインじゃないと言うことも問題なんだろうけれど。ってフレイ様が悪いわけじゃなくて、SEEDの演出方法自体に難があって、他のヒロインにしても、登場人物にほとんど思い入れを感じさせる人間くささがなくて、感情移入を拒んでいるんじゃないかと。一番可愛かったのが、ニコルなんじゃないかと、ニコたん(;゜∀゜)=3ハァハァ。
それはそうと、やっぱり、主人公は無茶をやっちゃう存在だったり、また無茶を承知で行動して成功を収めるっていうのが主人公じゃないでしょうか。仮に成功させたくないとしたら、敵がそれ以上に強くて主人公が敗北する、それが本来の主人公の姿なんじゃないでしょうか。
「これ以上は無理だ」「そうだね」じゃちょっとどうかと。止めるアスランは悪くないと思う、アスランはフレイのことを知らないのだし。無茶と無謀は違うから引くときは引くというのもアリなんだけど、クライマックスに入って、こうも盛り上がらなくて作品として大丈夫なのかなあと思ったりしたんだけど、それが時代性という物なのでしょうか。ステルヴィアなんかも、随分と物語が物わかりがよくって、面白くないじゃないですか、予定調和で淡々と進行しているみたいな。どうせ予定調和ならば、王道の熱血路線だっていいはず。なんでもそうなればとは言わないけれど、どうも横並びに、熱血パターンは好まれないのかみんなおとなしい感じでどうなんだろうと思ったり。
「無理だキラ、そんな機体でなにができる」「止めないでくれアスラン、あの中にはフレイが居るんだ、僕が守もらなれければいけなかった女性(ひと)なのに、守らなかった、守れなかった、背を向けてしまった人なんだ、僕はもう彼女を悲しませてはいけないんだ、いかせてくれアスラン!」「無茶だキラわからないのか、そんな機体で」「放せアスラン、止めてもムダだ」「いいや、放さない、お前一人で行かすわけにはいかない」「アスラン?」「オレも行く」「いいやキミまで危険な目に合わせるわけにはいかない、これは僕の問題なんだ」「口げんかをしている場合じゃないぞ、お前の大事な人なんだろう?オレにも手伝わせてくれ」「わかったありがとうアスラン」「行くぞ」「ああ」そこで、ギギギと、フリーダムを掴むジャスティスのロボットハンドが開くわけですよ。で「フレイー!」と二人仲良く発進。
とかさ、拙い例えだけど、燃えたいよー。結局フレイが敵の手に落ちるならそれなりに演出すればいいし、撤退は、フラガさんでもマリューさんでも年長者に説得させてもらえばいいし、思いだししている時間より、直球で、グッとくる展開とか見たくないですか、電童はそれなりに盛り上がったんだけどなあ。
これが今風なんだとは思わない、今でも、昔の物語を見て燃えている若い観客もいるし、王道パターンも忘れないで欲しいなと思った。というか、SEED見ているヒマに、レンタルビデオ屋に行って、機動武闘伝Gガンダムを全巻借りて二回見た方がすっと面白いはずだと思う。