物語はレースだ、安全なコースをギリギリの危険なラインで突っ走るゲーム。
人間が物語を面白いと感じる要素はそんなに多くない。それぞれに自分の生活がありその生活は社会環境によって作られている。そうした中でこんな事があったら面白いとかそう感じることが面白いと感じる物語になっていく。
その要素はそんなに多様ではなく、面白い物語の種類はそんなに多いものではない。
面白いと言うことに無自覚な創作者は的はずれな物語を書く。
面白さの意味を理解していながら、人と似たような物を書くと言うことをきらって、はずしてはいけない面白さの法則をはずした物語を書いてしまう場合もある。
また経験豊富な創作者も時に挑戦的に王道の物語を逆手にとった話作りに挑戦して失敗することもある。
最終回を迎えてそんなことを思った。
ごく普通の面白いオーソドックスな物語をこつこつと作りつづけることが一番大事なことなんだ。ボンバーマンジェッターズのシャウトのお父さんはいつでも変わらない美味しいラーメンを作り続けていた。ボンバーマンジェッターズのスタッフはそのことをよーく知っていた。
それに引き替え、ゲフンゲフン。
もうちょっと言うなら、自然に創作者の個性って言うのは備わっている。物の価値観とかなにに興味があるかとか、微妙な違い、それだけで十分。たとえるならそれぞれ空力が違うマシンだったり、エンジンのパワーバンドが違ったり、ハンドリングバランスが違ったり、同じマシンは二台無い、それが、定番のいつもの同じコース(パターンの物語)、鈴鹿でもなんでもわ、限界に挑戦して走るだけで観客には刺激的なのだ。
コースに新しさなど求めない方がいい。新しくトリッキーなコースを造ろうなどと思わない方がいい。
新しい危険なコースを造って、そこを安全運転で走っても観客にはなんの刺激も与えない。ステルヴィアとはそういう物語だったのだろう。あえて盛り上がらないようにとか、敵という存在を作らないとか、そういう新しい趣向が裏目裏目に出た作品だった。
仮に新しい危険でリスキーなコースを造っても、そこをハイスピードで駆け抜けられれば観客は惜しみない拍手をするだろう。またたとえ大クラッシュをしても同様に。レースじゃないのだから誰も傷つかない。出資者が大やけどかも知れないけれど、挑戦と理解していればそれもありだろう。
大いなる挑戦作という作品だってあるしそれは称えられる事もある。
と、これくらいで、まとめ。
ステルヴィア、自分にはいまいち。途中で思って書いたけど、ハリーポッターとかそう言うのを意識していたのかも、とすると自分はあまりこのみじゃないタイプの物語だったという事になるので、正確な評価は出来ないだろう(元々そんな気もないけれど、想像でも正しく楽しめないと)同じように、スタートレックとか、ディープスペースナインとか、あれもダメ、というか、スタートレックは好きなのに、ニュージェネレーションとか同じタイトルなのに楽しめない自分がいるし。
へびのあしさんを読んで思ったけど、改めて、ステルヴィアの物語は、映画くらいのボリュームだったら面白く感じたのかも知れないなと思った。
ガドガードガドガードの失敗と言うのを考えてみて二つばかり思った。一つは大したことじゃないことと、一つは面白いかなと言うこと。
大したことじゃないほうは、物語の道具立てから連想するストーリーと、現実の物語のベクトルの違い。見上げるくらいの自動ロボットと少年少女の出会い、異国情緒のダウンタウンの町で繰り広げられる少年達の活劇、と言うことを連想したけれど、実際の物語は、青少年時代の屈折したドラマだったという違い。自分は見てすぐに期待値を修正できたけれど(と言うより、ある意味予想より、屈折ドラマで自分好みだった)期待を裏切られた人には視聴中止を食らったのかも知れない。
にしても、予想のようなキッズアニメだったら、それこそ土日のゴールデン向きであって、夜中の三時にローティーン向けのアニメを放送するのは色んな意味で、正しくないだろう。オンタイムでローティーンが見たら恐いし、わざわざ録画するローティーンも恐いし、ハイティーンや、成人オタが深夜キッズアニメ見るのも恐いし、と。
では、想定ターゲットであろう中高生のミドルティーンはああした、十代のまだ社会的力を持てない屈折した物語というのを自分の物語として楽しめるのだろうか。自分の場合は、ガドガードの物語を自分の過去にあったあったと客観的にその素材の料理の仕方を感心しながら楽しめたけれど、その渦中にいる観客には楽しめるだろうかと考えると、自分にはわからない。もし自分があの時の十代だったらそんな余裕はなかったかも知れない。碇シンジの情けなさは強烈すぎて同じ思いの物には共感できたかも知れないけれど、ガドガードの登場人物達の歯がゆさ、未熟さは、なにを鬱々して居るんだろう、はっきりしなよ!と十代特有の癇癪で不快感を感じるかも知れない。
そう言うわけで支持が少ないのかも知れない。
本当にガドガードを面白いと思うのは、そうした青春の未熟さを客観視できるようになった年頃、大学生とか勤めだして二年目とか。中高生の取込みミスという気持がするのでした。
もう一つは、成功していると思われるガンダムシードと対極の問題。
ガンダムシードはゆるい展開と回想の多様で、熱心に見なくとも一二回見逃しても再び見ても追いつける。ローティーンはそんなにヒマじゃない、友人の約束とか見られない週もあるけれど、何度か見なくても容易に元に戻れる、見られるときにチャンネルを合わせれば、それなりに見たような気になれる作品だ。
しかし、ガドガードの場合単発ストーリーの積み重ねという体裁をとっているが、毎回見て物語を積み重ねていないと、物語の面白味が伝わりにくい、一二度見逃すと付いていけないし、たまに見て面白い物を鑑賞したというカタルシスは得られにくい。散発的に鑑賞したら、なんだろうこのつまらなさはと感じるように思う。毎回見ていてそこその味わいが理解出来ると言うようなタイプの物語だった。ある程度の辛抱強さを観客に要求したのかも知れない。
人によって鑑賞態度で作品の印象が違う作品だったと思う。
まだ書かれないあと七回、見たいかと言われたら、自分は見たい。カタナとハジキの対立の結論、ガドを失ったタクミはどうなるのか。アイコとタクミの行く末。そしてこの物語の求める答えを自分は見てみたい。
ボンバーマンジェッターズ、傑作だった。それしか言う言葉はないが、子供向けかという疑問もあるし聞こえた。1クールの頃の楽しさでずっと言って欲しかったとか、死ぬとか殺すとか口にするのに抵抗があった人もいるようだ。そうかも知れないけれど、、自分が子供の頃は、キッズアニメより背伸びしたアニメの方が好きだった。ボンバーマンジェッターズの難しさを好む子供も意ていいだろうし、まだ難しくても成長したとき本物の物語の意味を理解できることだろうと思う。
……もう息切れしてきました。
D・N・ANGEL、予想より言い終わりかたしてました。全体を通して作画も贅沢だったし、エピソードは、というか、怪盗話の意味とか、あとで振りかえれば、ダークとクラッドのことを思うと、もう少し納得できる表現で扱えたんじゃないかと思ったりもしました。惜しいと思うほどでもないけれど。主題歌はキモイ、つか、シードで声優して地声も聞いたりして、うわーとか思った。
プラスターワールド、まだ続くんだねえ、しつこいところがタカラ提供だなあ、ウェブダイバー思い出すなあと思った。
ムリョウは核心の話。
カレイドスターは、幻の大技は、結局予想以内というか、やられた!ってことにはならなかった。ファンタジーのウソならもう少しダイナミズムを感じる夢のような動画でダマされたかった。
テクノライズはよくやったと思う。もう一度一気に見返したい。全録画したけど保存するかは微妙。
ラストエグザイル、ディーオの復帰が嬉しい。
ぴちぴちピッチ、ヒッポ萌えショタ!
そんな感じです、他は、最終回の衝撃に感想感じるの燃え尽きました。