ザ・ビーチ

ここで書くべきじゃないかと思いつつちょっと似たような気もしないので書いてみる。
噂は色々聞いていた。評判悪いとか。タイタニックで人気性も頂点に達したレオナルド・ディカプリオが選んだ作品が、ザ・ビーチだけれど、ことごとく評判か悪かったとも。監督のダニー・ボイルトレインスポッティングで評判を上げた後の次回作と言うことで、大作映画になるはずだったのだけど、とか言う裏話。
特に期待もせず、テレビ放送だからと、膝を正してみるまでもなく、ネットとかしながらチャンネルを合わせて、チラチラ物語の骨子だけ眺めながら見ている分には、なかなかちゃんとした言いたいことのある物語だと思えた。
つまらない生活を送っている青年が刺激を求めて旅にでで居るけれど、刺激は向こうからやってこないし、本人も結局のところ、新しいことを求めてやしないんだ。刺激を望みながら、自分の価値観を変えることもなく、結局旅に出て、非文化地帯を歩いているけれど、清潔を求めていたり、合理性を求めていたり、安全性を求めていたりと、自分の領域を出ていない。
と、楽園の話をするジャンキーが、手首を切って死んで、謎のビーチの地図を残して死ぬ。レオは、それに刺激を求めて向かうと、楽園の場所は、大麻畑、マリファナの楽園だった。
それは現地人が支配する麻薬畑だった。命からがら逃げ出したレオ達は、若者のコミュニティーを見つける。そこは楽園、密輸団と話を付け、マリファナを栽培し、それを売って、ダラダラした毎日を暮らせる極楽の世界だった。
すぐにはまるレオ達。しかしその楽園は歪んでいた。楽しみはヴィデオゲームだし、魚の生臭さは嫌い、たまに買い出しに行くと、歯ブラシにリステリンと、文化的生活を縁を切れない若者達。
とかね、わかりやすく、直球すぎるほど、現代文化や、消費文化を批判する。今の若者や、文化の薄っぺらさを指摘しまくってる。
そういう部分を見ていると、ガンダムシードとか連想しないわけじゃない。つか、リヴァイアスとかも、戦争や、集団生活にリアリティーを感じられない感覚とか、通じる物を感じた。
表面上は綺麗な世界。自分の心や、気持行動や欲望まで、綺麗な理想郷通りに行動できれば問題はないんだけれど、心の中には、自然本来の荒々しい欲望が渦巻き、動物的な側面を持ち、おのれの行動を道徳や自尊心で律することも出来ない生々しい野獣の心の、綺麗な人間の皮をかぶったケダモノの現代人。
そういう感じがした。仲間が傷ついても、自分たちの楽園を守るために病院には行かせず、ここで治るか死ぬ死か選択はない。あまつさえ、苦しむ人間が身近にいることを嫌い、密林に生きたまま放置する、現代人の持つスマートさと醜さをあらわした表現だった。
とか、イギリス人のブラックでシニカルな部分、消費社会に対する疑問、ドラッグにゆれる国内、色々反映していて、作られるべき物語だったと思う。アメリカ受けはしないし、アメリカに毒された日本の観客にはピンとこないんだろう。というか、日本人の生活は、あの楽園の生活に近いんだろうし、なんでよくないのかわからん?とか思うんじゃないだろうか。
そして密造団にあの楽園を破綻されるように、日本の悦楽も異邦人に覆されていくのだろう。
なまじ、デカプリオとか、大作映画化された事が評価を落したのだろう。斜めに見ている分には、演出とか、長さとかがシェイブされて、メッセージだけが伝わってきて、良い作品にかんじられたのでした。
あと、楽園というと、雨狼とかも思い出しちゃったり。