言葉狩り続き

もー、ドンドンカオス……。ぶっちゃけ、使ってない人間が、あり方に朽ちだしてなんだかますますよくわからない感じに。
自分の感覚だと、だから、二つの側面があると思ってる。なんとなく折衝して二つ並んでて、それでよかったんだけど、ドタバタして、一つだけになりそう。まあそもそもが、恣意的な意見に近いものがある。というか、言葉狩りの概念なんて、一般的な共通概念なんてないんじゃないかと思うけど。
希望としては二つが併記されてて欲しいんだけどなかなか難しいようだ。じゃなきゃせめて個人的な部分を排除して欲しいんだけどねえ。「さまざまな理由で、特定の言葉を使用できなくする行為」ていどにして「それにともない偏見をうんぬんかんぬん」とか言うのは廃して欲しいなあと。
それもかなわないようなら、言葉狩りを使うたび、リンクを編集する、なんでそんな面倒なことを……。
簡単な手段は言葉狩りなんて言葉は使わなければいい、というか、言葉がりと書けばいいんだけど。そして、偏見の息の掛かったキーワードははてなの中に存在し続ける。自分は書かなければ関わり合わない。けれどもはてなユーザとして、偏見ががった存在を看過したと言う事実が残ると。
これじゃ、言葉狩りの暗黒面と同じ事だ。偏見という暗黒面を排するか、すべての暗黒部分を明記するか、現在は、自分の感じる限り二つのうちの一面しか生き残っていかないと。
確かに疲れるね。結局正しいものが生き残るのではなく、しつこい方が残るのが世の中なのか。
それに関しては、掘り下げていくと、ザクザク出てくる。認識していたけれど、自分がこの日記上で書かないから気にしていない、関わっていないものには「在日」ってある。自分には在日と聞くと、在日米軍とか、単に、外人が日本にいるって説明する言葉でしかないけれど、はてなのキーワードによると『在日朝鮮人・韓国人の略称。』だそうだ。なんだかな、自分には実感がない、辞書はhttp://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BA%DF%C6%FC&kind=ej&mode=0&jn.x=22&jn.y=11『外国人が、日本にいること。』朝鮮人のちの時もない、あ、やっぱり書き換えた方がいいかも、というか、変えた方が正常だと感じてきた。
言葉狩りをたどっているといろいろとある「バカチョンカメラ」というのは耳にしたけれど、そこに人種偏見があったとは認識していなかった。http://www.pit-japan.com/ws30/sabetsu.htmlどっちにしても、使いたい言葉でもない、バカでもチョンでも(本来の意味、頭の悪い人=チョン)でも、バカでも朝鮮人でも、何であろうと、その発想自体が醜い、正常な感覚の人間なら使うべき考え方じゃない、使用に抵抗を感じるべきものだ。
在日という言葉に人種偏見の意思が駆るのかどうか自分には現実的にわからない、自分の感覚は、朝鮮人に結びつかないけれど、結びつく人もいるかもしれないし、結びつけた上で侮蔑語という感覚で使っているような人間もいるのかも知れない。一般性なんて事自体も幻想に近いものだし。
自分の中に偏見があるかどうか、ということを言ってしまえば、さっき上記で書いたように、アニメーションの作画で、半島的というのは感じるのは事実だ。それは、下手とか、嫌いとか、そういうものではなくて、ある種の文化や歴史的バックボーンから来ていることに由来しているのだと思う。
顔の書き方とか、表現の中で、朝鮮・韓国的というか、よくある特徴が自分には好みじゃないところがある。児童まんがのセンスが悪い画風というか、何十年も前の模型雑誌に載っていそうなオッサンが子供向けに無理して書いている漫画のキャラの顔とか。それによって自分が偏見があるかというとそうじゃなくて、その絵今風じゃない、とか、ジャパニメーションの持つ表現を把握して作品作りが出来るようになったらな、と思っているだけなんだけど。
そういうわけで、このところ韓国産アニメも扱われるようになってきているけれど、まだまだ日本アニメが捨ててきたセンスを排しきれてなくて魅力に乏しいなとか思ったりはするけれど、これは偏見といううのとは違う。とはいえ、他者の表現を否定し、変われと望むことも正しくはないのだろうし、表現において、相手を尊敬していないとも言える。向こうには向こうなりの文化があってそのバックボーンを受けている表現ならば、目を向けるべきだろうけれど、なかなかオリジナルが見えないところもある、他者の文化を取り入れたがったり、取り入れたくせに、自分が始祖と主張してみたり。語るとますます危なくなってくるかも知れないのでこれぐらいで。