思ったことをメモしておくよ

キーワード、評議会とかのことで、揺れ動いてるって言えば動いてる。
どうなっていくんだろう。
キーワードをこれは要らないんじゃないか、なくていいよと削除したいと感じる人もいる。自分の書いた文面で、それは他人にも見せる物として捕らえて、はてなが勝手に作ってくれるリンクに対して、感覚的に許容値か、許容値じゃないか、と言うことなんだろう。
どうでもイイヨ、そういう物なんだしと思っている人もいるだろうし、自分にはある種の自動リンクが、許容範囲と感じる物もあったり、許容範囲を超えていると感じる人も居るんだろう。キーワードを編集、[]の挿入で対処できる事は出来るんだけど、キーワードに対する使用頻度との兼ね合いで、毎回編集させられるとか条件も加味されるんだろうし。
とか思ったりしつつも、削除したがる人の気持が判らない、と書いているのを見ると、やっぱりそういう風に捕らえる物なのかなあとも思ったりするんだけど、そうした否定的文脈から考えると、そもそもが、そういうキーワードを登録しようとする人の気持が判らない、という言葉が対象になるキーワードに当てはまるんじゃないかと思う。
具体的には上げないけれど、使用頻度が高くて、そしてリンクが出来ても、絶対にクリックして他に記述した日記を見に行こうという価値さえ感じないキーワードとか。
キーワードの説明からは、条件の範囲内で、誰でも自分が必要と思ったキーワードは作れるというのは読みとれる。参加する物の自由として約束されていると。
同時に自由を歌うなら、自分の書いたに気にできたリンクに対して、誰でも自由に削除する事を試みられるというのも自由な権利の一つなのじゃないかと思う。
要望の一つと言うこと。以前の議論で、じゃあ登録されたキーワードは一定の支持を得たら本登録にすれぱいいじゃないかと言う考え方もあった。削除行動に問題があるなら、発生するキーワードの方を抑制しようと。それはもっと息苦しいと思った。
自由に作れるならば、自由に消せるのが健全な事だし、キーワードも全体的な一つの大きな道具で流動的に洗練されていくべきだろうし、削除や追加を重ねて快適な物に育てていく物なんじゃないのかな?と思ったりする。