GUNSLINGER GIRL

オンタイムで見たら、特に思うところはなかった、って何度も書いたけど、鑑賞時のテンションが下がってたと思って再見したら良かったというか、かなり、物語の意図が分った上で再見すると、作品に漂う悲しさと、作り手の悪意と、その実当事者の秘められた愛情とか理解して、すごく感傷的に鑑賞できた。これ二回は見た方がいいと思う、一回だとへーだけど二回目はかなり来る。
今までのGUNSLINGER GIRLで最高傑作だと思う。なにかと比較されたりモデルと考えられた、ニキータとかレオンとか、リュックベッソンの一連の作品の中にある、残酷さともの悲しさを、独自の手法でGUNSLINGER GIRL世界の取り込んで、表現していたと思う。
冒頭は、医者に掛かる義体達の様子。「今月はまだ4人だけど、先月は10人やっつけました!」みたいな相変わらずの、ヘンリエッタに萌え!っていうかようするに義体にとっての最大の喜びは、あに様の役に立つことで、それは人殺しなのです!って言うことと、まあ、特にヘンリエッタは感情方面に不備があるっていう表現と兼ね合わせているのだろうけれど。
で、ちっと脱線するれけど、ガンスリにおける、不道徳感から来る胸くそ悪さなんだけど、初めはこういう物語を作ってしまう作者にその疑念があったけど、そうじゃないって事を理解した。はっきり言って、義体達だけでなく、担当官達、ジョゼ、ジャン、ヒルシャー、ラバロ、マルコーらは、共にこの非人間的なプロジェクトの犠牲者だと思えるようになってきた。
唾棄すべきは、今回特に出てきた義体整備士の方だ。こいつらは最悪だ、担当官は自分の役割をしながら、義体達のことを本気で思っているし、それぞれに苦悩している。ジャンのリコに対するリコを道具と思うことは、彼なりの結論なのだろう、リコの心が痛むよりは条件付けを強くした方が幸せだろうと。ヒルシャーはまだ深い内面はわからないけれど、一番まともに人間と扱おうとしている。
ラバロはこの不道徳に対して、公表という形で義体達を救おうとして消された。一番不快に感じたジョゼの偽善者ぶりも、やはり苦悩した上での行為だろう。今回スポットの当たったマルコーのことで、そのことを理解出来た。後でもっと詳しく書くけれど、マルコーは、この事に心を痛めて、背を向けるという形で解決しようとしたラバロに対して、留まると言うことで、アンジェリカを守ろうとしているのだ。しかしその思いは……と言うところ。
それに対して、ハーフミラーのこっちから見ている、義体開発師のたちの無自覚な汚らしい事ったら、無責任にエッタちゃんカワイイとか、かわいそうに、バレエダンサーにさせられたら本当に良いのにね、とか、自分の罪悪感を紛らわすために、同情した振りをする。心の中ではそんなこと叶うはずないことを自分の手でしたというのに、そんなことを口にする資格もないくせに、自分たちの行為の罪深さをごまかすためにそんなことを言う。なんて自分勝手な偽善的な人間だろう。
そして、罪悪感もなく、サッカークラブの方がいいさと無責任な冗談を飛ばす人間。
この物語が、罪を贖うために苦しんで死ぬべき人間を見つけるとしたら、彼らこそ血の海に沈まなければならないだろう。
そして初めて中心になるアンジェリカ、調子が悪くて作戦に参加していない第一号機というスタンス。
不調の原因は、彼女の記憶障害、物事をどんどん忘れてしまう副作用。
義体共通の副作用なのだろうか?というより、記憶はアンジェリカ、ヘンリエッタの副作用は感情制御と言うよりは、感情の感覚異常先月は十人やっつけたとか言っちゃう異常さと、それぞれに違いがあるようだけれど。
そしてそんなアンジェリカに対して指導する情熱をなくして、冷たく接するマルコー。と言う構図なのだけれどその下に隠された愛情と、そのすれ違い。
そのことを、パスタの国の王子様という、マルコーの即興のお伽話という素材を使って表現してみせる。
アンジェリカは親に不要とされて、保険金のために車で轢き殺されかけた少女だった。
マルコーは目を怪我して視力が落ちて公社へやって来た。子供に対して優しいという面も、お伽話を作ってやるところからも伺える。
マルコーはアンジェリカを教育し、アンジェリカが人殺しの道具になったことを作戦ビデオで確認する。人を撃ち殺して微笑むアンジェリカ。
そして記憶障害が現れる。
マルコーは彼女との仲が破綻し、加えてアンジェリカの記憶障害で、すっかりアンジェリカの教育に情熱を失ってしまう、アンジェリカにつらく当たるマルコー。
外見的にはそう見えるが、明かされないが、マルコー自身の愛情なのだろう、彼女の手がこれ以上血で汚さないために。
しかし、条件付けられたアンジェリカにとっては、仕事をし人を殺すことこそ、兄に対する愛情なのだ。
その点においては、兄に人を殺すなといわれることは、家族から要らないと拒絶されたことと同じだ。実の家族に欲望のために殺され、また仮の兄に再び今度は愛情ゆえに殺された。
パスタの国の王子様というのは、そういう物語だ。と思って見直すと、自分には悲しくて涙なくしては見られなかった。
と解釈したら、最高傑作に見えた。原作通りなのか、アニメ用に解釈の仕切り直しをしたのか、どうしてこういう作品も作れる実力もあるのに、普段は今ひとつなんだろう。