攻殻に期待する物

で下の攻殻のことの書き残し。
今現在は自分が攻殻という物語に対して何を期待しているだろうと思った。原作のハードSFな感じとかサイバーパンクな感じとか、そう言うのはもうすでに使い古されているだろう。今さらサイエンスの蘊蓄で自分は知っているとか理解出来るとか、博識ぶった優越感みたいな嫌味な感じも、すでにそれを好んで飛びついたマトリクスなんかによって食い尽くされた感じだし。
自分の場合は今だ興味があることは、攻殻という物語装置を通して、人間とはなにか、生きるとはなにかという事を思索できるというこのに魅力を感じている。
人間は脳化した生き物で、知識でなんでもできると傲慢になっているけれど、それでも、腹がすけば切ないし、真冬に放り出されたら寒くて泣いちゃうしと、肉体のくびきを逃れていない。
生きることが空疎になったって、自死しようとしたって、首を吊ったら苦しそうだし、手首を切るのも痛そうだし、飛び降りるのも痛そうだし、電車に飛び込んで引きちぎられるのも痛そうで、痛いのが嫌だから生きるしかない。
結局肉体に支配されているのだ。
ところが電脳やら義体は、痛みは克服している、その気になれば、自死が簡単に出来そうだ。スキャナーなら制御卓のボリュームを過負荷に回すだけで生と手を切ることは可能だ。
仮にそんな状況下でも、人は生き続ける、と言う物語の設定は、人に生きることの意味を問う作品になるんじゃないかと思っている。
そう言う点で、イノセンスが現代人をどこへ導こうとしているのか、興味があるところである。