アニメは限界があるんじゃないかと

http://d.hatena.ne.jp/rulia046/20040202

あ、反応どうもです。わざわざ申し訳ありません、ありがたいです。はてなっぽいです。拝見しまして、反論ではないと思うのですが、いろいろと感じるところもあったので、メモのような感じで、気楽に書き留めます。反応がはやっぽいんですが、まあ脊髄反射的で、浅い考えで熟考していません、その辺は軽率になったらすいません。

義体になる事への公社の確認行為の意味について、はなるほどとも思いました。
考えても意味が無いというか、そうしたことがもたらす意味というのは、結局のところ、読者や観客に対する物語の中で執り行われる行為への認識への決め方というか、免罪意識というか、ごまかしの茶番をみて納得したいというか、そういう機能でしかないのかなと思ったり築いたりしました。
当人にとっては、選択の余地はない、死ぬか、生きるかしかないけれど、生きることが死ぬより苦しい生かもしれないなどと告知するわけはないし、いずれにしろ騙されて生かされるしか道はない。死にたいですといったところで素直に死なせてくれるかどうかもわからないし。
一応反論という形になるのかも知れないけれど、読者がその交渉を知っておいて少女達が望んだのだからと言った気持のごまかしと言う意味だけではなくて、読者としてそうした行為が行なわれたのか否かに興味を持つことは、公社の性質が知りたいと言うことなんじゃないかと思います。
公社というのが、残酷な組織なのか、事務的な組織なのか、慈愛はあるのかとか(義体処置の前に本人に訊いたとして愛情があるとは思えないけれど)。愛とか正義とか言えば色んな正義があるわけで、死に損なった哀れな子供を使って凶悪なテロリストを殺せれば、テロによる何百のかわいそうな子供の死を防げた、という理屈だって成立するし。
そうした点で、作者は、公社の性格をどうした物か明らかにしていないのかも知れないし、描かれてはいないけれど当然想定した上で劇作しているのかもしれない。(そういう意味で言うと自分なんか原点の原作に当たらずあれこれ言っているので非常に、相田氏に対しては失礼なのだと思う、三冊ぐらい買えよと。とりあえずあって話せばその人間というのをだいぶわかる、少なくとも、ネットで文章を交わしても、実際にあって話したほうが、数倍もどういう人間かがわかるののと同様に(それもまたわかったつもりになっているだけなのかも知れないけれど)、原書に当たってつぶさに見た方が、作者の想定した書き表していない世界観を感じると思うのだけど。とりあえず、アニメはすべて見た上で、アニメの作者に対して話していると言うことと思ってください。そんなとこもわからないのかとか言う部分は、原作で世界に触れていないからなのかも知れないし)
そういう点で言うと、義体少女にゲタを預けずに、公社が相談も無くやったと捕らえようとする観客はある意味で優しいのかも知れないかなとか思いました。相手が同意したからいいだろうとごまかすほうがもっと人間的には残酷だろうし。
アニメ観客の自分からは、アニメのみの舞台装置は、曖昧にして観客自身の捕らえ方に頼っているような思えるけれど、さて推し量れる表現をしているかどうかというと、よくわからない。ウェブ上でもいろいろと解釈があるように、曖昧に描写をして観客を踊らせているだけのように感じるけれど。
ある意味で言うと、観客が見たい物語を見られるという事なのかとも思う。
悲劇の少女達の話だとか、騙された少女達とか、命を長らえた上に幸福に生きてそのうち死んでしまうけれどそのことを本人は幸福だと思って死んでいくんだろうなあと、それに対して、肯定するか否定するかは、観客次第。
GUNSLINGER GIRLの引力の一つはそうした設定や行為自体が不謹慎でインモラルな思想を含んでいて、そのことを送り手自身も認識していて、それをどういう形で作品に落し込んでいくか、また観客はそれをどう取り扱っていくか作り手の扱いの手際を見たいという部分があると思うのだけど(少なくとも自分にはそう、というかそれしかないのかも、エッタちゃん萌えーとかトリエラ萌えーとか、アニメ作品自体においてはあまり思わない。http://inpot55.hp.infoseek.co.jp/作品がこんなだったら、萌え萌えするんだけど)

そう言うわけで、本来不道徳なテーマな対する扱いについて、アニメ化においては、スポイルされて表面上の現象だけで、水面下の公社の意図とかは曖昧にされている気がするなあ残念だなあ見応え無いなあと。

結局は、ますます原作読め、って感じですが。
いずれにしても、物語は、書き手の意図するところとか、読み手が読みたい物語を勝手に読み取るとか、そうして楽しむ方法もあるし。だからこそ、こんな形で、どうでしょう?とか肴にして突っついて楽しんでいるような物なんですけど。そうした影を勝手に見たような気になったりとか。
ガンスリとライダーは、本当に面白味があったんですね。ライダーって勝手な捉え方だけど、本郷猛が自分が改造されて、そのことで復讐に燃えつつ、人間社会に脅威を与えているので怪人を倒しつつ、その組織をぶっつぶしてやるんだ、という方向性が物語を覆っている。かたやガンスリは、改造されたけれど、本人達にとっては、蜜月の毎日を味わっていると。
でもどっちも、本人視点から見ると、復讐に燃える本郷猛も、当人にとっては復讐に燃える日々に対して充実して幸せだと捕らえてしまえば、どっちも同じじゃん(ひどい!)と思ったり。
そういう観点では、ライダーも、ロボコップも、攻殻も、ハガレンのアルも、みな興味深い。ていうか、みんな生きる意味に行き詰まりすぎ、自分だけですか、さうですか。
あとこの作品で、怖ろしいとか、残酷だとかいう点においたら、自由の搾取とか、義体になることも簒奪だし、その後本人は、偽りとか洗脳とかさは関係なく、幸福であるけれど、自由は搾取され続けている、ということはすごい残酷な事なのだろうかなと思うけれど、それは作品の目的としているところじゃないように思うし。
身辺穏やかざるなか、反応どうもでした。