意味のこと

意味に関して、キーワードとしての必要性はあいかわらず結論が出ないし合意が得られないように見受けられます。(たぶん永久にどちらかが納得する理屈なんて出ないんじゃないかと思うけれど。)
自分も、議論を重ねて重ねた上で結論は出せないとして、評議会の投票で、是非を数の論理で決定して欲しいなと感じています。


登録者の人格とかまったく関係ないです。
普通に用いられる言葉で、捕捉されている日記が一日に200以上にまたがるキーワードを捕捉してどんな有効性が生じるのか疑わしい、また普通の言葉で繋がり合って、どんな有効な出会いが生じるのか疑わしい、と感じるのだけれど、必要性の是非を問いたい。


こうしたキーワードの存在を検討することはおかしいのかも問いたい。
たとえ話を持ち出すのはどうかと思うけれど、キーワードは、木のような物なんじゃないかと思う。
誰の人の目(日記)にも触れず、森の奥でひっそり育っているのはまったく問題がないけれど、普通の言葉で、常にたくさんの人(日記)に引っかかるキーワードは、垣根からはみ出して歩道に伸びて道行く人に引っかかる枝のような物。
普通はそういう枝は剪定する物だ。たまたま先っちょに花でも咲いてたら、切り落とすのはやめようかと思うだろうけれど花さえ咲いてない(有効性が皆無)。
パチンと切るでしょう普通。
これは、キーワードというのは、はてなユーザにとって快適なように時に応じて、剪定するべきか、それとも野放図に登録されるがままに、ボーボーと生え放題にしておくべきか否か(と言っても、歩道に伸びてくる邪魔な枝はほとんど無いんだけれど)。


桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿、なんて言葉があるけれど、固有名詞は桜だと思う。切るものじゃない。でも梅の普通名詞に関しては、はてなダイアリーを快適に閲覧出来るためには時に応じて、必要性で疑わしい物は剪定することも有効なんじゃないかなと感じる。
大抵は、それを植えた人間に、邪魔っぽくないですかと聞けば、なるほどと理解されるものだと思うのだけど、時に、邪魔なことをわかっていて、植える人がいたりとか。邪魔にならないだろうとか、そうやって引っかかるのが面白いんだという人とか、実際に引っかかって面白がっている人もいるのだろうし、水掛け論になってしまったら、切るべきか、利用者全員に尋ねて決めるしかないんじゃないかなと思う。


長々書いたけど、
物によっては、特定の普通名詞のキーワードをキーワードの理念と比べて有効性を問うべき。登録者と対話して結論が出なかった場合は数の理論で決めることも必要。
全員の日記に関わるキーワードの整頓も必要によってはなされてもいいんじゃないのか。
みたいなことも思うんだけど、こういう考え方が正しいのか間違っているのか確信がない。


当然の事ながら、それに相当するキーワードに対しては一つの結果ですべてに当てはまるわけじゃなく、個々に対話して交渉、合意が得られなかったら投票というプロセスを変ければ成立しないのだから、キーワード狩りのようなものではない。
またこればどうかと思うけれど、普通名詞の必要性の是非は、普通名詞をオフにしている人には、その段階で否定しているのだから、削除に同意しているのも同じ、少なくとも、自分の日記上に現れないようにしているのだから、自分に関係ない立場にいて、削除に反対する権利(理由?)はないんじゃないのかなとか思う。

議題を立てて、議論していただき、一週間後に投票を始めますみたいな感じでいいんじゃないのかなあとか、一応自分でも、討議と投票するべきかなと感じてますという意味でリファしておきます。id:hatenadiary