ふたりはプリキュア

敵の人というのは、どういう設定なんだろう。今までいた人間に意識として取り憑いたと言う形なのか、突然現れて、回りに今まで居たように錯覚させているのか。
前回の角沢くんは回りを錯覚して騙していたみたいな感じがしたけれど、今回の二人目は、自分がこれからする火山で町を壊すことに対して、自分自身を恐れているような感じがして、人間側みたいな意識があるみたいなところは、今までいた人間に取り憑いたっていう感じなんだけど、そのあたりどうなんだろう。
まあ、単純になにも考えて無くて、自分に恐れているって感じの演出を入れるとムードがあるねって感じなのかも知れないけど。


で、今回のどれみから恒例の、なんとなくいつもと違う雰囲気パターンみたいで、おばあさんの話と、夏のムードとか戦争の感じとかを加えていつもと違う雰囲気にしてみましたパターン。
どれみもナージャもその場合本来の筋、魔法とか、ナージャの課題とか、なくてもいいように無視されていたけれど、プリキュアはきちんとお勤めを果たして変身や対決をこなしてた。


いつもと違う雰囲気は目新しく面白く仕上がってた感じ。
にしても、希望と絶望は裏表、希望を信じて頑張ろう、みたいな訓話みたいなものだけど、観客の現実生活と結びつけるにはプリキュアの戦いだと浮世離れして説得力がないけれど、それを現実的に感じられるように、別の設定を加えてくるのが定石だけれど、そこでおばあさんの戦争体験ってのはどうよ?みたいにおもった。まあ、終戦記念日も近いし悪いわけじゃないけど、ますます現実味から離れていくような……。
本来は、クラブでレギュラーの座を掛けて、みたいな判りやすい例えで、あきらめちゃだめだって事を生きるときの既成観念として育てるべきだとは思うんだけど。


戦争という出来事を感じてもらうには、押し付けがましくなくてよかったけれど、半端な感じもする。でもあのぐらいでもちゃんと戦争のことは伝わるかな、子供を信じればそれでいいかもしれない。
自分の、辛いことや困難に向かったとき、頑張ろう、あきらめない、という気持ちを伝えるにはちょっとどうかと感じた。