蒼穹のファフナー

ちょっとインターバルっぽい話。
学園生活の描写とか、ヒーロー的立場になっちゃった感じとか、仲間同士の気持ちとか登場人物の気持ちに迫ってて面白かった。
ほんとはステルヴィアなんかもこういう感じを目指してたのかもしんないけど、未来の宇宙の寄宿舎での生活とかで観客的に気持ちが重なるわけじゃないし、特殊な状況でも物語世界が日本の生活を維持しよとしている情況だから観客的に見ていても、そんな情況になったらどんな気持ちになるかな?とかそんな風に感じるだろうなとか、色々思うところはあったんだろうな。


ゴーパインの子が結構物語の中心ぽくて、作り手が父親だと知ったり戦いを体験してたりしてた。
描写があまり個人にフォーカスせずに距離をとってたので、その出来事が見る人によって、同世代の子供の立場から見られたり、ちょっと大人になって、父親の気持ちと子供の気持ちを想像できる立場で見られたり、もう親の立場から見られるようになってたりしたんじゃないかな。

カブトを付けてるとすっかり記憶してないからカブトを取ってみんながどんな戦いをしているのか体験したりして自分の無力を知ったり、なんか死相ただよっててヤバイ感じだった。


あ今日も一応ネタバレ気味。


ゴーパイン最後の日かと思ってビクビクしながら見てたけれどそんなこともなくて安心、と思ったらあと少しのところで大事件がっ!っていうかビックリしているうちにそのままエンディングへ突入、このところエンディングが毎回凝ってたけど以前と同じ絵で同じ曲なんだけどマイナーヴァージョンって感じで、久しぶりにアニメ見ていて総毛立った。
なんでかわかんないけど、演出から、事前の空気感からの転調の影響っていうか、ファフナーにそんなに入れ込んでみてないのに展開にゾクゾクした。


悲劇が敵の攻撃によってもたらされるのだったら、悲劇って言う前に敵憎しに焦点が変っちゃうけど、以前から言われてたファフナーに乗る副作用が爆発ってのが悲劇性を高めてた。


つか考えると初めから乗ると決めた段階で、そのうち死ぬ、成長して大人にはなれない選択をした、みたいな事だったんだけど、本人達に自覚がないっていうか、観客的にもきちんと提示されてなかったかも。
いずれ一二年で死んじゃうかもみたいな事を自覚していたら、誰かを好きになったら辛くなるみたいなことを感じるかもしれないし。
なんかの漫画で主人公が成人式を迎えられないみたいな自覚で生活しているような物語があったと思うけど、先がない自覚っていうのは大変というか、価値観が変ってくるんじゃないかと思うけど、そういう事は扱われてなかったし。