ふたりはプリキュア

うーんどうなんだろう。


物語に教訓的な物とか、人生の指標みたいなものを求めるって言うのも古くさいけど、話から読みとることっていうのはないわけじゃない、ていうかなんとなく意図しなくても物語の中の出来事とか登場人物の行動とかを、生きていくことでの行動の概念的に受取るものじゃないかな。


それにしては、絶望的情況で、挑みすぎ。
つーかこの場合自分の能力が判ってないって言うか。


古今東西物語のヒーローヒロインは、苦しい戦いをしてきたわけだけど、八方ふさがり的な絶望的情況では戦ってない。
完全に勝機がなかったら挑んでない。
絶対的不利だって、0.1パーセントの勝機とか、すごく困難だけどこれを出来たら勝てるとか、多少の望みはあってそれに掛けてたわけじゃん。


そうなるのにもそうなる理由や筋道があって、それは一つには自分の能力を知る、そして相手の能力を知るとか。
相手の力は読み切れなくても、最低自分の能力は把握する事は出来るよね、それを知った上で、勝てるか勝てないかを知る。
それで絶対勝てなきゃ逃げるから、一旦引いて勝機を窺うとか、作戦を立て直すとか、誰かから勝てる情報を手に入れようとするとか、そういう事するわけじゃん。


まあ今逃げても負け(死ぬ)だっていうのは明白、そうなるとおめおめ逃げ帰れないってのは判るけど、だからってそこでがんばっても勝てないと想像できる。
じゃ逃げて死ぬか、戦って死ぬかで、戦って死ぬって事を偉ぶってのもあるけど、特別そう考えてもいないように見える。
とにかく一生懸命やればなんとかなるんじゃないかなみたいな感じで無理な情況でがんばってる、と。


そのへん現代的って言うか、リアルなのかもしんないけどさ。今の若い子は、自分の能力に限界がないと感じてるとか、ほんとはダメなんだけど本気でやればなんとかなる、いまは本気でやってないけど本気を出せばなんとかなる考えてるとか、全能感があるとか、挫折を知らないって言うか。


わかった、そう言うところのリアルを選択したと。でその結果は?
奇跡で勝つの?本気の気持ちさえあれば勝てない相手でも勝てるということにするのかな。
そんなのダメじゃん、片方が現実的なリアルで迫ってたら、その反応もリアルで現実てきなしなきゃ。


あれじゃ、現実でもどんな困難にぶつかっても、本気で思えばなんとかなるみたいになっちゃうじゃん。
そういうの見て育った子は悲しいね。


ほんとは、困難でも0.1パーセントの勝機を掴むために努力したり、逃げて作戦を立て直したり、誰かに相談したり、そういうやり方があるんだって物語で学ぶべきだと思うんだけどね。


それじゃ面白味なくなっちゃうかも知れないけど、そうじゃなきゃそれこそ将来ちょっとしたつまづきや挫折でつまずいて立ち直れなくなってニートとかになっちゃうしかないじゃん。


自分の力を知って、出来ることと出来ないことがあって、出来ないときにはそれでもがんばっちゃわないで、誰か解決できる人を捜すとか、出来るように作戦を練るとか、生きる見本みたいな訓話的物語になるべきなんだけどね。


物語の設定が、二人だけってことにしちゃっているところが、そうできない宿命なのかもしれないけど、それだったら、いくらがんばっても二人だけじゃダメとか、二人だからなんとかなるとか、ちゃんとした文脈がないと、信じる気持ちだけでうまくいくなんてそれこそお伽話だし。


外側の、大人とか、力がある物とかが視野に入ってこないって言うところがなんとも。
子供(弱者)が強い者に頼ると言うことをしなくても、外側の力ある物の方から助けてくれるとか、そう言う文脈でもいいんだけど、プリキュアは女王様も、手一杯で助けらんないとか、その辺、子供にとって助けになるはずの親も、親は親で忙しくて子供なんか助けてらんないって暗喩なのかな。


話としては酷い話だ。
ええ、作画は綺麗で技術も高いんですけど、物語や裏教訓話としての価値はサイアクじゃないかな。
かなり失望したよ。
今の大人は子供にこんな物しか渡せないんだ。
どんなに困難で苦しくっても、子供が抱えて、自分でがんばるしかないって。


将来困難、近いところでイジメとか、にあっても、一人で抱えてがんばるしかないって。
そんな抱え込んだらいつか破綻するって。
そんなことしか渡せないんだなあ。


とか受取っちゃったよ。