初音ミク関係

ねこまくらさんの記事で、久しぶりに初音さんの情況を眺めました。


以前に見たときより増えて充実していて、時間を無駄に取ってしまいました。
まあ楽しい楽しい。
悲しい事件のことも内容に影響を及ぼしていたりして、かといって怒りではなく、悲しみをもって受け止められて、悲しいことがあったけれど、私は元気で歌っていくよ、とか、歌わせて、という文脈で表されているのは感傷が加わって良かったです。


相応しいかわからないけれど、昔のデスクトップアクセサリーの事とか思い出してしまいました。
アレも悲しい事があったことが逆に、言ってしまえば凡百のアプリケーションが、その事によってちょっと想い入れてしまって思い出深いソフトウエアーになった感じです。


それと同様に、ああいったことのせいで、変に感傷的に思い入れが深くなった気がします。


関係はないんだとおもうけど、メシアになるそには一度迫害を受けるという通過儀礼が必要なのかしらん、とか思ったり思わなかったり。


初音さんのブレイクは上手いこと条件が重なったのだろうなあとは思います。バッケージイラストが上手いこと嵌ったり、声優の起用がキャッチーだったり。
ボーカロイドも2ですし、1はそんなにブレイクしなかったけれど、実力的にはやりようによってはそんなに程度の低い物ではなかったようですし。


ちょうど参考になる作品があったので、はります。


やっぱり可愛いは最強、ということなのかなと。


それでも聞いていると本当に使いこなしているのは一握りの人なのかなとも思います。
上手いなあ自然だなあ、と感じると、作者はいつもの人、という感じで、ただ乗っけただけの人と、機能を把握して補正が出来る人との間には深くて暗い谷が存在しているみたいです。


本当に文字通り、ちょっと聞いたぐらいではわかんないというか、ああスピッツの歌を可愛い子が歌っているなあとか感じることも出来るかなとこの作品は思ったかな。


でほんとにちょっと、驚異的だなと思ったのは、みっくみっくが頭の中でヘビーローテーションしてしまって、こんな場合普通の思考だと、CDになればいいのにとか、CD欲しいとかいう流れになるんだけど、これってどうすればいいと言う事なのか、ちゃんと作るという事はなにをすればいいと言うのか、中の藤田さんを呼んで歌わせることが本当の事じゃない、仮に読んで歌ってもらっても、そうはならなくて、本当にどこにも存在しない歌手の、はすっぱな「〜してやんよ」という、やんよ、な言い方に、ハアハアしているのであって、電子の現象にハアハアしちゃっているのかと思うと、どうしたものかと。


まあテレビの中のキャラにハアハアしているのも同等かなと思うのだけれど、それはそれで、作者という人間の意図によって踊らされているわけでまだ人間は介在しているのだけれど、それとは多少意味合いが違う(まあそれも打ち込み作家のエンベロープの弄り方、その作家が可愛いと感じた結果を共有しているという事なのだと思うけれど)