はてなダイアリーで思うこと

数日使ってみて、多少、普通の日記とは違うなと思った。

日記というのはすべからく、それぞれが自分のサイトに来る人を想定して書かれている。
一日カウンターが100まわるのなら100人に、50なら50人に、1000なら1000人に、10000なら一万人に。
数は問題ない、そこで考慮されるのは、いくらネットが世界中に、日本中に開いているとはいえ、全日本に宛ててと、考慮されて書かれているわけじゃない。

現実に、伝わるのは、そこを知っている人と、たまたま訪れた少数のストレンジャーのみ、公的に開かれるのは、数日後に、検索サイトがチャッチして、ググったら、上位にリンクされるようになってからだけれど、それでもほとんど、第三者が知るところではない。

それはある意味で言うと、身内だけに語りかけているという感覚に近い。
それはどのシステムを使っても、エンピツでも、自分が宣伝して興味を持ってきた人に向けてだけ書かれいてるものだ。

三者におおやけに発言する機会は、巨大掲示板とかに代表されるように、他人の掲示板で発言する際には、自分の発言を読みに来た人間はいないという、日記とは違った構え方、慎重さや配慮が要求される。
ただ、巨大掲示板の場合、匿名の名無しさんなので、心理的緊張感は少ない。けれど、多くの人間にされされるので、日記のように、自分の庭でハナクソほじりながら放言するようなわけにもいかない(そういう人もいるだろうけど)。

で、はてなダイアリーなんだけど、エンピツのように、ブラウザーを利用した日記システムでありながら、放言を書いても、さまざまな形で、はてなダイアリーのエージェントで、自分の日記に、外部からリンクが貼られる。
新更新と言うことで新しい更新があった順にアナウンスされる、これはエンピツにもあるけど、新更新を目印に捜す人間なんていないし、すぐ潜っていってしまうのでナビゲーションとしては無意味に近い。
はてなではキーワードで他サイトと参照される、おとなりアンテナで、繋がる。第三者のページへリファが残る。
と言うように、参照リンクを拾っていくだけで、似たような発言をしている人に用意に行き着き、はてなダイアリー自体が、巨大な掲示板に書き込んでいる感覚に近い。

さらに言うならば、巨大掲示板は、読まない限り自分に影響があった発言は見つけにくく、探し当てにくいが、はてなダイアリーはごく自然に、発言に行き当たる。

そんなシステムを利用するには、特殊な感覚が要求される。

はてなダイアリーは一般的に上級者のシステムだと言えるだろう。
ネットを始めたばかりなら、エンピツとかの方がまだ使いやすい。

エンピツもウェブサイトも、宣伝によって来た人にしか触れることはない。はてなダイアリーは、同じ話題を発言する人と巡り会う、時には、自分の発言に対して、リアクションを取られる場合もあるだろう。
そうしたとき、必要とされるのは、舞い上がったり、すぐに顔真っ赤にして反発したりしない、ある程度のネットでの発言慣れした、態度を必要とされる。

すぐに反発しない、ふうんと、静観できる感覚とか。
せっかく優れたシステムなのだから、利用しない手はない。同じ話題を扱っている人と結ばれるのならば、品の良い、有益な関係を作るための、手慣れた反応を楽しむ技量があるともっといいし、全く知らない人間が反応していることが起きることを肯定する空気があるとなお良い。

従来からの内輪のみのコミニュケーションスペースと、別の動きがあるところなのだ、と参加する人間が思っているのだろうか、とかそんなことを感じた。

掲示板のようだと言うことで、発言を構えるべきだということではない。そんなの面白くない。従来の日記のように、気楽に発言してしまう方がいい、巨大掲示板は、気安く発言できるが、それは、無責任から来る気安さだ。気楽と気安さは別物。
はてなダイアリーという自分の場所と名前を持って、責任を負った、放言をしてしまっても面白いのかな、とか思った。

とか言いつつ、アメリカ人の時は、自分生き生きしすぎ、中の人もまだまだよなあ。
いやあれも、気楽な発言と言うことで。