現実ってなんなんだって思った。

生きていること。現実にここにいること、そりゃそうなんだけどさ、だからなに?
生きていたらいつか死ぬ、80年生きても100年がんばって生きても死ぬ、死んだらどうなるかわかんない、終わりかもしんないし、続くかもしんない、でも、生きているときに持った物は、持って行けそうにない、そしたら生きているの意味無いし。
生き続けることが実存の意味?、この日本に、地球に、人間が存在し続けることが現実を守る意味?
家族を存属させることが大事?
そういう価値観で世の中は動いてるんだよね。だから、結婚しなければいけないことになるし、子供作らなきゃ、人として劣ってることになるし。
しるもんか。
日本なんてどうなってもいいし。一万年後に人間がいなくたっていいじゃないか、地球が生き物の星でいつづける必要もない、ふつうに石ばっかりの星になって、人間の存在という現実なんて無くったっていい。
なんて思ったら、現実とかってなんだろうとかおもっちゃうよ。
今ここにいる現実の持続に努力することが現実、なんて守るべき価値や意味のない現実。
なんつって、なんつって。
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドとか読んで思ったり。
世界の終わりの主人公の私は、世界の終わりという幻想世界の仕組みが、不自然で異常なことを自覚する、影という心を分離して、心のない偽りの平穏な世界、そしてそこから脱出しようとしたけれど、心を殺して生きることを選ぶ。
そういうのって、現実の世界で、ちょっと心を殺して、心は貧しいけれど、死ぬまで経済的には安定した社会人として生きていくことになる、ってことなんだろう。
正確には、心を殺さず、壁の外に逃がして生きているから、森の人なんだ。
森の人は心を殺さず、だけど、社会の要求、心を殺すことに抵抗した人の末裔。現実の世界だとホームレスとかになっちゃうのかな。
影は心を捨てない人、心とか自分の自由を捨てないで、社会と共に生きようとする人、それでも、社会に負けて、弱って死んでいく存在、芸術家志望とかなのかなあ、そのままで生きていける人はなかなかいない、こだわり続ければいずれ社会に殺される人々。
ハードボイルドワンダーランドの主人公はなんだろう、なにも考えずに、世の中と上手くやっていたと思ったら、死ぬしかない情況に追いやられていく人、リストラで死ぬしかない人や、ヒッキーとか、もう現実の中で死ぬしかない人達なのかな。
なんて、現実なんてそんなに大事なものなんかじゃない、なんて感じたら、どうして。現実にしがみつかなくっちゃ行けないんだろう。
でも、現実はそんなだったら、弱って死んでいくしかないんだし、生き続けるには、影を殺して生きるか、森に行くしかない。

現実という仕組みを変えることは出来ないんだ。