カレイドスター

絶対に失敗しないと言う自信の元に、幻の大技を演じることを許された。難しいワザに挑戦することに失敗を恐れないと言う考え方ではなく、失敗するとさえ思わないほどの自信があってこそだと言うことだろう。
あとで、そらがレイラに「もし許されなかったらどうしていたと思う」と問うと「許されなかったときのことは考えていなかった」という、そらも同様でお互いに笑いあう。そんな様子からも、自分に対する自信、自分に対する恐れや疑問がないという事がよくわかる。
ある種うらやましい、高慢なほどの自信とも言えるし、それにともなった実力。本当はそれを得るのには、怖ろしいほどの練習によって得られるのだろうけれど、恐れ入るようなたゆまぬ日々の練習、と言った部分は伝わっていない気もするけれど、まあいいことにしておこうかなと。
若いうちはそうした理由のない自信に満たされる時期もあっていい。年を取ると、そうもいかなかったり自分に対する不安や、失敗の経験や、現実という物も見えてきて、へこたれてしまうのだけれど。
レイラと父の問題は、ユーリが橋渡しをして、レイラの父にステージを見るように進め、今さら良い人役に回してもらえたようだ。
そして期待された幻の大技
ぶっちゃけて言うと、ある部分までは想像通り、ある部分からは、奇跡というか魔法というかファンタジーだった。空中ブランコでお互いに飛んで手を合わせる、と、フールの超絶的能力でそのままくるくる回っちゃうとでも言うような、物理を無視した、ファンタジックな演技だった。
そう言うことにしておこう。仮、最終回だしご祝儀って言うことで。正直、それでも予想以上のなにかすごいものかと思っていて、多少失望した部分もあるんだけれど。
で、この現象はどう言うことなんだろう?元から4クールが途中で不人気で時間移動なんだろうか?それとも好評で2クールを延長なのだろうか?根拠のない噂だと、視聴率は良くなかったらしい。それを信じるわけじゃないけれど、観客としてみていて、カレイドスターに対する印象は、良い部分もあり、マイナスな部分も感じる。カレイドスターを批判するというと言う意味ではなくて、客観的にカレイドスターをモデルにして考えてみたり。
カレイドスターは、いい物語だ。鑑賞すればストーリーも良いし、感動も出来る(このところはちょっと感動が安売りしすぎてパワーダウンしている気がしてちょっと飽きられたっぽい(だからこそ余計延長が心配だったり))それでもやはり見ればかなりの高確立で、感情を揺さぶられる物語が多く、気持ちの良い時間を過ごせる作品だ。
その一方で、作品の質ほどに支持されていない印象もあるとして、その原因を考えると、確かに思い当たる部分もある。
それは、見た感じの絵柄には遜色を感じるのは否めない。
書きやすい描線の少なさ、色数の簡略化、影は二段付いているかどうか、ハイライトも少ないし、絵としてのボリュームの少なさを感じる。絵によって作品の質を定めるのはナンセンスで、見てみれば、面白い内容であれば、感動することは出来るのだが、観客はそれに気が付かない場合が多い。宣伝で目にしても、絵柄がキャッチーでないとチャンネルを合わせようとはしない、それに加えて、従来より時間帯が30分ほど繰り上がっているのも、アニメ鑑賞の習慣的にそぐわない部分もある。
その点で、ガンダムシードなど、絵の見た目だけでも、人を惹きつける。今日見て改めて思ったけど、D・N・ANGELも本当に贅沢な絵だった。そういう部分カレイドスターは足りていないと思った。
ではなぜそれが出来ないのかというと、平井久司氏の絵は見た目の強い引力をもってはいるが、誰もがそのキャラクターを描写できない、任せられる人間が限られると言うことだ。カレイドスターのスタッフロールを見れば、アルファベットが並んでいるのが現状、台湾なのか香港なのか韓国なのか、動画をかなり外注に頼っている、新しくアニメに参入したホリプロが新しいスタジオを開拓しているのか内情はわからないけれど、今の状態で、破綻せず再現できるキャラクターの限界が今のカレイドスターなのだろう。
そして時間を変えてまでの延長、まだまだ売れると読んだのか、スタジオの体力を付けるためなのか、意図はわからない。
いずれにしても、もっと贅沢な画像が作れる画力の体力をアニメ業界には着けて欲しいし、絵柄に左右されない眼力を観客にも持ってほしいものだと思う。