言葉狩り

もうね、キーワードの内容が、ヌッチョンヌッチョンになって、イヤン。
自分がね、言葉狩りとか日記で使ったりするのは、その思想に、放送禁止歌みたいなことを感じるわけ。http://www.fujitv.co.jp/jp/nonfix/368hosok.html
そのことについての自分の捉え方はちょっと微妙な事柄が含んでいるのは、使っちゃうのやめようと、歌を作っている側にはそんな気持は毛頭ない、誰かを卑しめようとか、誰かを差別するためにとかで、歌を作ったわけじゃない、表現をしたわけじゃない、と。
ところがそれを、使っちゃいけないことにしようと誰かが決めた、誰かが表現を制限しようとした。誰だ?って言う話。
ここには注目すべきものは二種類あって、その歌を使わせたくないと、もにょった誰か、なんとか同盟だとかなんとか総連だとかなんかそういう集団だろうけれど、そういう存在に対して、表現の敵だという想像はある。
人の考えはわからないけれど、id:lovelovedog氏の記述する、主張する『特定の言葉に対して、もっぱら私的感情にもとづき世間一般に使えないようにする行為』というのは、そういう存在を仮想敵にしているのかも知れないし、自分の中にも、表現の敵としてそういう部分も理解出来る。
そしてもう一つは、その要請を受けて、放送禁止にする会社側の存在がある。会社というか、社会のような大きなものだ。前出の存在が力の小さな、差別される側のヒステリックな声とすれば、こちらはもっと力の強い暴力的な力だ。
とりあえず、言葉を使わないように封殺すれば差別や偏見が消えるだろうと言う無責任な考え方。言葉を殺せば平穏になると言う考え方。そう言うことに対して、自分は、言葉狩りだよね、と抵抗があって使用しているのだけれど、その文意は、削除される側の
差別用語など不適切と想定される言葉を、意図や用法にかかわらず一律に規制する行為。政治的適切さ(Politically colectness)への行き過ぎた対応。その単語を抹消することで、差別が存在したという事実そのものも抹消してしまうことや、その語の差別的、侮蔑的でない用法や歴史を一律に無視することで検閲的に機能することがありうることから批判が多い。』
という、『# lovelovedog 『訳の分からない説明テキストを書かれたかたは削られることに異義を示していないようなので、これで終了ということで』と言われる
わけのわかんない主張の方が近かったりするんですね。
正直長いほうは、長くてだからなんなんだという、得体の知れないものになっているけれど、理解は出来るし、自分の言葉狩りの使用文意なんだけど、どうすりゃいいのって状態なんですけどね。
率直に言って、言葉狩りが「もっばら私的感情にもとづいて」だけばかりじゃない。社会的偽善で差別語を使用禁止にすると言う行為を、私的感情で一括りにされるのは不健全だと思うのだけど。ちょっと手を出す時期じゃない。