身体性の喪失と人間の生きる意味

一昨日、鋼の錬金術師を見ていたら、ああ、アルも攻殻とかガンガルと同様、身体性の喪失の影響を受けている存在だったんだなあと思った。
とりあえずアルは自分の肉体を取り戻すというのを自分の目的としていたり生きる意味としている。条件としては、肉体を失って淋しい本来の暖かみを取り戻したり物の暖かさがわからないから、元に取りたいと切望している。それから、今の状態が続いていると、過去の記憶も薄れているから早く肉体を取り戻したいと願っている。
だけど、そういうのって、兄が居るからと言う部分も大きい。こういう事態を起してしまった兄が居て、責任を感じて戻したいと思っているからそれに答える形でそのことを二人の目的としている。
鎧で居続けて、記憶が薄れていく恐怖がなくて、昔の肉体の感覚があったりまたはあきらめられたら、どうしても肉体を取り戻さなくても、現実的に一人の存在として社会的にも認められているのだから肉体を取り戻さなくてもいいんじゃないだろうか。無理なことを願ってわざわざ自分の存在を不幸だという存在に落し込むことはない。
アルを支えているのは兄の存在なんだろう。もし兄が居なかったら、自分が記憶が消えていこうと、どうだっていい気がする。兄でなくても、回りに誰か一人でも自分の存在の喪失を悲しんでくれる者が居るのならその者のために生きていくんだろう。
ガンガル義体達も担当官という存在がいるから生きていけるのだろう。
そう言えば、攻殻の素子さんは、あまり自分を生かしたり意味づけたりする人物が居ないような気がする。あの人だと、生きろとゴーストがささやくのよで済んじゃいそうな。ある意味強いと思うけど。