本読みメモ

久しぶりに本読みに嵌ったのでちょっとメモ。っていうかここで書くのはどうかと!本家で書きゃいいのに、なぜはてなで、結局寂しがりかと!


西尾維新さんの戯言シリーズを四シリーズばかり読んだ。
クビキリは、デビュー作?とか最初の作品なんだなと思った。それにしても余談が多いと思った。三分の一ぐらい話と関係ないような余談だったような。と言ってジャマというわけじゃないし、その余談の部分が個性みたいな感じだし、三分の二のほうの本筋はじゃあそれだけだったら面白いかというと、特別に面白いわけじゃなくてまあ読めるって言うくらいの物語だったし。


ただ事に、この作品で、この作家の凄さと言う点で、孤島で人が死んでいるのに動じない登場人物、集まった天才達が人が死んでも大騒ぎしないああ死んだんだね、どうやって誰が殺したんだろうね、と冷め切った感じ、警察を呼ぼうという発想もないし、元々がこの殺人に恐怖も罪も憎しみも感じない。集まったのは世界に誇る天才さん達なんだし、警察に関係して罪人として刑務所に入れてくすぶらせるなんてもったいないし、それなりに理由があったんだろうし、人殺しの一つ位してもいいんじゃないかしら。
といった発想、固定観念への蹴っ飛ばしとかには驚嘆した。乙一さんがデビュー作で殺された幽霊視点どころか、死体視点という発想で「やられた」と思ったように、人ひとりくらい殺してもイイヨねといった感覚のずれ、それがまた今風の空気を捕らえているという新しさのような物を感じた。
でも饒舌だったと感じたのは否めない、それが二作目で、全くなくなっていたのに驚く。


クビシメ、二作目、これは自分にとって西尾という作家にとりあえず自分がすごいと思った手法やテーマに対する最高水準の作品だと思った。
饒舌に見えながら、厚いページ数の本の中で、厚くするための饒舌さもなく、ほぼ物語を使い切るためにつくされていたと思うし、一作目で感じた、人として今存在しているけれど、それに対する虚無感、生命の重要性のなさ、人の命は地球より思いなんて、なんとなくそう言ってるからそう思ってるだけ、ここに生きている事ってそんなに重大で、大変で命という物を守らなきゃいけないなんて、後付けの固定観念。別に生きてたって死んでたって、そんなに動じない。好意を寄せている異性が死んでしまっても、自分と同じ物の味方をして二度と巡り会え無そうな自分の分身のように惹かれ合う人が殺されてしまっても、まあそうなっちゃったのか、といったような達観、どこか自分の気持が壊れているんじゃないかというような感じ。

と言ったような独特の表現だけど、今の時代の空気に合いそうな物の捉え方。ただそういう気持の登場人物を物語に登場させても普通はストーリーとして破綻してしまうと思うのだけど、それを綱渡りのようにまとめ上げた。
登場人物の独白が本当のことなのか戯言なのかはっきり証さないままで筆を置くことによって、読者は繰り返し、様々な人の気持、どうしてそんなことをしたのか、憶測で留めていることが、本当にその通りにしたのか、繰り返し楽しめる物語となっていた。


クビツリは、アクションをやってみたという感じ、ページ数が半端で、キャラを強力に立てるでもなく物語に趣向があったでもなく半端な感じだった。


サイコロジカル、ロジック物は楽しめなくて、挫折。


乙一さんも読みましたZOO、普通。多様だった。その後で、石ノ目という初期短編作品集を読んてよくわかったけど、やっぱり上手くなっていて、どの短編も、抵抗無く楽しめて、読み手に面白いと引き込ませる能力が格段に上手くなっているというのを確認しました。
乙一さんは、デビュー作で、死体の視点と言うのを思いついた段階で、天才だと思った。16才でそんなこと想像も出来ないと戦慄すら走った。んでも、その後石ノ目を読んでジャンプノベルの初期作品集は、取っつき悪くて、生まれながらの天才でもないのかなとか思ったり。やっぱり単行本化であとで加えた書き下ろしの平面いぬとかの、読み手を引き込む能力っていうか、石ノ目は平面いぬしかまともに読めなかったり。
その後暗いところで待ち合わせなんか読んだけど、アレは良かった。白乙一の方が好きなのかなあ。暗黒童話も読めなさそうだし。ZOOの中の白い家は十分楽しかったんだけど。