私信

特別にクラブ化も委員会も希望しません。徒党を組んでも、何か違うこと口走る人には、違うというし、組織化しなくても、指摘はしあえるし、違うんじゃないって感じることは指摘されるとなるほどと思ったりえーと思ったりするし、必要ないかなと。


とりあえず、線引きの出来ない懸案を想定しようというのは無理だと感じています。
そういう形で取り決めれば、釈然としないものを決めつけようと言う行動なら、不信感を感じて、とりあえず抵抗しておくというのが普通の流れなんじゃないかと感じます。
少なくとも、普通すぎるキーワードは登録しないようにしようと言う提案は、なにをもって普通すぎると決めるかわからないから、疑問があると感じます。


結局のところコツコツ一つずつ対処していくのが望ましいでしょう。実際今まではそういう形で運営されてきたわけですし、それが結果的に、ルールに適合しないという形で、削除の提案をして移動していた人物に対しては掃除屋とか黒ユーザーとか敵意を被っていたわけですから。


場合によっては水掛け論になる、そう言うときは、投票に掛けるしかない。その結果如何によっては、同じ人物であったら次回からの反応も変化する場合もあるでしょうし、ギーワードの質によっては拘泥するケースもあるでしょう。


意味に対する投票はその第一歩なんじゃないかと思います。これで、意味はあっていいよという結果が出たら、こりゃビックリだ、ユーザーの大半は、そんな邪魔じゃない、自分の記述が自動リンクだらけ上等って人ばっかりだったんだと、自分が認識を新たにするだけです。


意味はいらないという結果が出て、登録者がその結果に同意するとすれば、同じカテゴリーとして、無意味の削除の同意も取れると感じます。
仮に同意が得られなければまた投票をするだけですが、意味が無用という結果から、無意味はそれとはまた別という主張をする人物とは思わないんですが、まあその辺は、なるように。


その先は予想も付きません。残念とか当然とか、同じカテゴリーだとは自分では感じるのですが、同意は得られるかどうか、わかりませんし、また理解が得られなければ対話して投票するしかないんのではないかと思うのですが。
そうしたことを繰り返していれば、いちいち説得力を持つ論とかを書く必要もなくなってくると感じます。実際には理屈と言うよりユーザー個々の言葉に関する感性の違いでしかないのじゃないかと。


登録が、不要だと感じる物は消され、必要だと思う物は残されていく、当たり前のことで、曖昧な物は僅差で残ったり残らなかったり、意義が上がったり上がらなかったりしていく、それだけのことなんじゃないかと。