ネットにはびこる小児性愛者を取り締まる自警団

http://www.hotwired.co.jp/news/news/culture/story/20040322205.html
ロリオタさん、にげてー!


つらつら書いているけど、ほんとのところはなんなんだろう?みたいなことを思うと、契機になった、高崎のロリコン、だか、ペドファイルだか、被害にあった女の子には、申し訳ないほど、残念だし悲しいし不幸だと思うんだけれど、同じように、加害者の青年だって、悲しい感じがする。
情況が魔が差したり、青年の環境が孤立していたり、自分の見た感じは、彼自身、ある部分では被害者に見える。


彼自身の問題が一番大きいんだけど(オタに属する自分で本来なら弁護する立場でありながら)ロリコンメディアが、彼を追いやった部分も多少なりともあると感じるし、結果的にロリコンメディアが少女の命を奪ったという部分もあるだろう、という印象があって、庇護するべきロリコンメディアのはずなんだけれど、そう言うジャンルが憎いと感じる部分もあって、オタクが、彼のことを、あんなのと自分は違う、あいつと自分は違う、自分はああならないと、切り捨てる部分がどうなんだろう、という事に疑問や違和感を感じたりもする。


そうした認識の上で、自分に都合の悪い、ロリオタを「彼は特殊だったから」と切り捨てて、ボクたちはだいじょぶだよね、萌えー、とか、それは視野狭窄してるんじゃない?ほんとはその情報が女の子を殺したんじゃん、わかんないの?なんて気分もあったりして、ちょっとなんだか違うなとか感じたりする。


いつものことか、やっぱり毎度、そうした事件が起こるたび、利己的な犯人像(騙しやすいから子供にしたとか卑劣な理由以外)は、いつでも、情報の罪というようなものを意識しないわけはない。表現の自由も認識はするけれど守らなければならないそんなに大事物なのか?とか。


そうした部分に置いては、アニオタ的には、現在の情況はすごく規制下にあるはずなんだけど。
裸は見せちゃいけない。風呂にはいるならバスタオル必須。
おかげで風呂の描写は出来ない。決していやらしい要素はない、人間の生活のなかで当然の営みで、ものを考えるいい表現方法なんだけれど、あまり意味無く描写できなくなった。
少女物とか、魔法物とか、何回か一度は、風呂場でマスコットキャラと話するとか、そういう表現は失われた。
ボケモン規制で、激しい描写も控えられるようになったし、めまぐるしいアニメも禁止された。
昔と比較すると、ここ数年のアニメは、めまぐるしく動かす事が自粛されている状態だ。


ピカピカはほんの一部の子供のためだけれど、守らなければならないことだと思う。
風呂シーンはなんて制限されるかわかんない、また、それによって質が上がったり下がったりするわけじゃないけど。


じゃあロリコンメディアはというと……。
犯人は言う「ロリコンマンガのせいで、影響されてイタズラしました」とか。
それば正しいかというと、ある意味では正しいんだよね。でも正しくない。


人を刺した犯人が言う、「包丁があったから刺しました、包丁が切れるからいけないんだ」そんなこと言ったって理由にならない。包丁のせいにするな!だ。でも包丁は切れるってことは正しい、刺せば切れるんだからこそ注意しなきゃ。


同様に言うべきは、ロリコンマンガのせいにするな!だ。勝手に見て妄想して影響されるなって事。でも正しいのは包丁が切れるのと同じに、本当にそれしか見てなかったら影響されるって。男子はやっぱどんな形でか、内圧散らすか、本当に身体的に他者の肉体で寂しさを解消しないと覚悟して悟ってるかしないと、そんなメディアばっかりだったら、異常になる、とか思う。


もちろんそれは特殊な一部だけどでも、ほんとそんな状態になってる人って決して少なくないような気がして大丈夫?
ましてこれから今が一番恋愛するべき年代の青年が、わたおにだの、小学生萌えしてだいじょぶかよ?
十代のうちから、同じ十代のガールフレンドと交際するべき年代で、ブームに乗って12人の妹に傾倒しててこいつら適齢期になったときだいじょぶかよ?とか思ったりして、ほんと、萌え〜とか言ってて大丈夫なのかな?


ある種、10代でシンナーやってる子とか見て、あーこの子ら将来だいじょぶかなあとか思うように、二次元メディアに群がる子ら見ると(オマケにロリコン)恋愛不全症にならんかな、したら、幼女メディアも罪作りだよなーとか思ったり。


そういう点で、今、商売になるからって言う形で、十代の恋愛感情を積極的に歪めて大丈夫なのかななんて危惧は思ったりする。