蟲師

前日の蟲師に関しての感想にはコメントを頂きました、それに関係した返答とか、補足とか。


単純に自分が見て灰羽の真似?みたいなことに関しては、時期が違うので真似じゃないよ、という指摘に対しては、そうですか、と。


似てる感じだね、という受け止め方に対して、真似なんじゃ?みたいなのは書きすぎでしたね。なんか似てるね、に留めておくのが正解なんだろうね。


んでも、真似してるとかは別にして、一ジャンルとして、安倍風というか、単に安倍氏が先駆者的だったんじゃないかと思うけど、一連のなんていうか、イラストレーターで美術系の人が入り込む境地というか、その手の世界感みたいな物に対して、蟲師の人が安倍氏を真似したとかじゃなく、安倍氏自身も影響された世界観みたいなものに、蟲師の人も漠然と影響されたのかなと。


そして安倍氏はそう言う物に対して、消化して理解して描いているから物語が自然体だけど、蟲師の人は(というか、アニメを見て感じたことなので、蟲師の人にたいしてじゃなく蟲師のアニメを作った人に対してということになると思う)未消化で、感性で各段階じゃなくて理屈で書いてる段階なんじゃないかとか、蟲師のアニメを見て蟲師がなにかとセリフで説明しようとしていたところに、そういう印象を持ったよ、ということです。


基本的に自分が好きな方向性なので、だからこそ違和感があってというか引っ掛かって自分には残念に感じたということなんだと思う。
自分独自のセンスで世界観があって、それを具現化する作風とか。
方向性は違うけど、須藤真澄さんとか、弐瓶勉さんとか。
須藤さん描くの物語や弐瓶さんのBLAME!とか、登場人物が作家に成り代わって世界観を説明するような言葉を出すようなことはしない。
どころか、BLAME!なんて状況説明すらしようとしないし、自分の世界観に自信を持ってるとか、自分の物として消化しているからで、なまじ付け焼き刃だと、説明しようと躍起になるとか。


あのアニメには、なんか相手を丸め込もうとする、宗教の勧誘や、悪徳商法の勧誘みたいな胡散臭さを感じちゃったなという印象だったと。


もちろんそれはアニメに対してだけであって、原作の蟲師を読んでもそういう印象を受けるかは別の話。


両方読んでるファンは、アニメと原作が同じ空気感だったのかとか、自分が胡散臭いセリフと感じた演出が好ましかったのかとか、そういう観点で語ってくれれば理解出来るけど。
まあ別に蟲師が物語として好ましいか好ましくないかとか、どうでもいいのだけれど。
この先自分の見方で好転するかもしれないし、自分の見方と差異があってとしても、それはそれで構わない(物語がすべての人にとって面白く受け止められる必要はない)し。