ゼーガペイン

ゼーガペイン面白い、んでも評価しているわりに視聴態度が悪くて内容を把握し切れて無いんだな。
早合点してたり、勝手に解釈してたりするかもしれないんだけど。


現実の世界は人類は全滅されている、人間は量子コンピューターに意識を保存して生き延びている。
敵は異星人なのか異次元人なのかわかんないけど、デフテラ領域とか言うところを通ってきて地球に来て人間を全滅させた、と、どうして人間を全滅させたのかはわかんないけど、人間がデーターになっても存在しようとしていることを知ってデーターの消滅もしようしている。
データーになった人間はとりあえず、敵のデーター消去を阻止するために戦っている。人間の方の最終的目的は今のところはっきり提示されてない。


とか損なところなのかな、敵の目的とか動機とか、もしかしたらさりげなく明示されてるのかも知れないけど読み取ってない。人間の方の目的も同様に。


で、そんな上で、主人公のソゴル君は段階的にそういう事を知っていろいろ悩む、と。


んで、見ている方としては、自分的には、ソゴル君悩んでますナ、とは思うけど、そんなに問題なのか?と思ったりもする。
というのもなんか達観しちゃってるのか、現実でも幻でもイイじゃんとか思ったり、人間生きたって100年したら死んじゃうし、死んだら天国だか地獄だかへもなにも持っていけないし、ぶっちゃけただ消えるだけじゃん、とか思うわけ。


そういう虚無感に対抗するには、子供を作るから、みたいな事もあるのかも知れないけど、そういう価値観もあんまりないし、そんな価値観だと、ソゴル君の自分はデーターみたいなこだわりとかってよくわかんないなあと。


世界は舞浜しかなくてどこへも行けないとしても虚しいと感じない。
もしかしたらこの世界は成長することがないのかも、永遠の17才で高二の二学期が延々続いていたとしても、それならそれでイイじゃんと思ったりする。


成長しないって事は、ダレか好きな人と恋愛しても結婚したり、子供を産んだり、年老いて死ぬことはないとしても、それがなんなんだろう?と感じたりするので、なにが問題なんだろう?と思う。


んだけど、それはそれとして、たぶんそんなことはないんだろうけど、こうだったらさすがに現状打破したいだろうなと思う情況はあったりする。


というのも、あの世界、端的に言えば「すべては幻なのよ」という言葉が、肉体が無くてデーターだけなのだ、という意味ならばいいんだけれど、幻という解釈が例えば、すべてが量子コンピューターに収納された人間の意識が作り出した一人だけの夢だったら、と考えると。


違い判りにくいかな、この物語の設定は、世界が情報としても、自分以外の人間は、量子コンピューターに収納された別データーの意識であって、自分以外の他者とは接触が出来る、って事だと思うんだけど、


それがもし、自分以外と思っている他人も自分が望んだ幻の他人で、現実には、コンピューターに収納された意識はスタンドアローンで何者とも接触せずに孤立している状態だとしたら、ちょっとさすがに自閉的で嫌だな、つーかそれが現実だと言われたら。現状打破して元の通りに他者とのコンタクトが出来るようにジタバタするか、いっそ消滅する事を望むかも、と思った。


そのへんなんとも言えないけど、例えば、友達が一人も居ないとしても、肉親がいるとか、肉親さえいなくても、テレビを付ければそこには自分とは関係が無くても他者の考えという物と接触できるわけで、どんな形とはいえ必ず他者とふれあえる機会はあるわけだし孤立した状態じゃないだろう。
と、他者と触れあえることが生きてるってことなのかなあとか。
んー、でももし、どこかの僻地で独立して一人で生活している人間にとっては他者が居ないと言えるのかな。つても、なんらかの形で他人の創った物を利用している限りは他者とふれあっていると言えるかもしれないし。


とりあえず見ていて、あの物語、学校も友達も憧れる異性も、すべてソゴルの視点から見たソゴルが望んだ幻、だとしたらそれは虚しすぎるだろうなあ、そんな情況だとしたらもそんな情況に追い込んだなにものかに復讐はしたいと思うだろうなあと。


そうじゃなくて他者は他者なら、データーの消去に対しては抵抗するけど、それ以上の現状変化はあってもなくてもあんまり変わらないんじゃないかなと(肉体の再取得とか意味を持たない)


なんて事を思ったりしつつ、この先の展開を楽しみに見ているんだけど、マトリックスの元ネタになったような日本のジャパニメーションマトリックス劣化コピーみたいな設定の物語で甘んじていると思えず、それ以上の革新的な発想が出てくるといいなあと期待していたりするのでした。