話の整合性とかのこと

時かけ』公開記念放談 細田守×小黒祐一郎
第2回 言葉にできないものが「映画」だ  

から


今は「全てが分かりやすく整理されていないと楽しめない」という感覚が強まっているような気がする。


ええそうなん?
近頃の感触で言うと、物語の中にすべて揃っていて、説明や解釈が出来ていて、それらの整合性が取れてないといけない。と考えているのは古いタイプの観客で、今の観客は、分りやすいとかそんなの関係なく、目先で楽しめればいい、と思ってるんじゃないのかなあと思ったんだけど。


そうじゃないところとかはなんとなくわかる。
感想書きとかすると、話を見て、本当に良かったなあと思う所って、書きにくい、感想として書きにくい作品の方が、良い話なんだと思う。
感想書きに走ると、一番ありがたい、書きやすいのは、突っ込み所とか、ネタに走ったところとか、こういう所は良くなかったなあと(荒探し)か、そう言う点で、ある部分そう言うところが珍重される所はあるけれど(んだからハルヒの第一話とか話題性としては優れているけど、良い話ではない)


そういう意味で、本当に良い話は、感想書き泣かせみたいな作品にあるのだと思う。