涼宮ハルヒの憂鬱の話

# 通りすがり 『ぶっちゃけ、ハルヒに雪崩をうって衆目が集まった、ということは、他の作品はそれ以下だったわけで、今年は、コードギアスにでも雪崩をうつのかな?w』

# 上の通りすがりですが 『遅ればせながら、明けましておめでとうございます。礼を失したコメントをしてしまい申し訳ありません。

各所の総括を読んでいると、ハルヒは感想サイトではあまり受けが良くないようです。これについて考えてみたところ、ハルヒという作品はそもそもごく一部の狭い範囲の感性の持ち主に受けるような類の作品であったにも関わらず、人気を得てしまった作品なのではないか、ということです。逆にゼーガペインはどの感想サイトでも好評で、高評価を得ているようです。感想サイトは多種多様な感性の持ち主の見本市のようなところですから、そこで広く受けたということは、ゼーガはカバーする感性の範囲が広い作品なのではないか、と思ったのです。ではコードギアスはどうなのかとなって、大衆的にも好評のようだし、感想サイトの受けもよい。ではコードギアスこそ2000年代アニメの本命なのだろうか。

ということをコメントしたかったはずで、脊髄反射のようなコメントはするべきではなかったと反省しております。すいません。』

同一人物なのかよくわかんないけどね(ドメインは同一だったよ)
同一かどうかは関係なくとも、まあ、ハルヒが感想サイト的には評価が低いという感触には同意出来る気もします。それに関しては、マニアックな作品だったけど人気を得てしまったから、という解釈みたいですけど、自分としては……みたいなことを思ったのでちょっと取り上げてみようかなと。


私見と客観を分けて、客観的な分かり易いところから言えば、涼宮ハルヒの憂鬱という作品は、内容の完成度はともかく、話題作になった、という事は事実、その原因は?といえば、その辺については客観的にどうこう言えないところだけれど、話題作になったという理由については、多くの人が注目したから、というのは事実だろうし、じゃあその多くの人は?といえば、アニメのライトファン(ライトユーザー)が食いついたから、という事になるだろう。


ライトユーザーがどういう鑑賞眼を持っているか、という点については明確なことは言い切れないのでここは棚上げにしておくけれど、アニメを見てあまつさえ感想まで書き留めて公開している人種(要するに感想サイトの書き手)は、ライトユーザーではないよね、まずヘビーユーザーなわけだと思うけど、そう言う立場から見ると、涼宮ハルヒはライトユーザーがもてはやしてる作品だなあと。
そう言う印象からいうと気分的には、涼宮ハルヒを評価すると自分もライトユーザーの仲間入りだなあという感じて、「涼宮ハルヒの憂鬱は良い」と言う発言には抵抗感を感じるという心理が働くような気がする。


その辺の変な偏見などに惑われず涼宮ハルヒを高評価するとしても、つかつか、正直、冷静に頭を冷やして作品自体を見ると、人気と作品の完成度にギャップを感じるという部分から生じる偏見も払拭しても、涼宮ハルヒの憂鬱という作品の面白さみたいな所は、並なんじゃないのかなと思うんだけど。


時系列をシャッフルすることで、順序通りに語れば平凡な物語を面白いかのように見せていたという技術はあるけれど、とか、素人目にも良くできた作画に見えるハルヒダンスとか、評価する部分はあるのだけど、去年の作品の中で特に優れたタイトルだったとは言い難いと思えると。確かに話題作的に、去年を代表する作品ではあったと思うけど本当の面白さ的には……と。


と思ったりしつつ、じゃコードギアス涼宮ハルヒと同一のタイプの作品かというと、それは違うと思う。
観客を巻き込むお祭り作品という指向ではないし、作品自体の面白さも十分にあって、コードギアスが話題なっているとすればその辺は、本当に作品の面白さに支えられているところは涼宮ハルヒの憂鬱とは別種の理由での話題作であると思うよ。

半面、ゼーガペインは内容が良いのにこんなに冷遇されてるとは、という思いもあるんだけど、これはこれで内容的にマニアックな内容だし、これはこれで良いのデス、という気もするんだけど。(とか言ってるから良作が駆逐されてしまうわけなんだろうけど)