忘れられがちな名作

て、自分だけかもしんないけど、感想書かなくてすっかり記憶の中から脱落してて前回のエントリーから書き落としていたんだけど、去年の良作としてカペタcapetaを上げておかなくてはいけないと思い出した。


どうにも感想が書きにくいので、感想は書かないで見るだけで楽しんでいたんだけど、改めて考えると、去年の作品の中で一番楽しんで見られたのはカペタなんじゃないかと思い直した。


カペタの面白さの大半は原作に負うところが大きいんだけど(大体七割ぐらい?)
アニメ側の功績としては、面白い作品を見つけてアニメ化に引っ張ってくると言うこと、原作上の面白さを損なわずにアニメ化すること、とその辺をしっかり実現させたことは大きい。


それにも増して、アニメに翻訳する上で、原作のメディアとの違いで、スポイルする部分は削り、アニメ的に効果的な部分は補強する、と言ったような変換作業も優れていた。
と言うのも、その辺は、レース物という部分で、元々動かない漫画には不利な素材を、絵が動くというアニメに持ってきた段階でアニメが勝利するのは当たり前のことなんだけど、その辺をきちんと実現していた所は素晴しい。イニDとかその辺で培われてきたCG技術をふんだんに利用して、ポリゴンCGなんだけどCG感をまったく感じさせず、作動画作業を軽減させつつ、手書き作品以上の臨場感をCGで表現できていた、という意味でも技術的に非常に優れていた作品だったんじゃないかと思い直して、感想サイトとかでの評価が低いのではないのかと言うことに残念だなあと思ったり(って自分だってすっかり忘却していたわけなんだけど)


でもその辺の、優れてるんだけど、思い入れの浅さみたいな事の原因を探ってみると、作品の中での登場人物と観客との気持ちの同調みたいな部分に欠けていた所が原因なんじゃなかなあと思う。


その辺、他作品でよく描かれるのは、主人公が倒したいと思っている相手をどれだけ魅力的に書いて、主人公と観客が気持ちを分け合うか、というとこなんだけど、一番手っ取り早いのは、ライバルを憎らしい敵として描いてしまえばいいのだけど、カペタはライバルの源奈臣をリスペクトするライバルに描いちゃってるから、観客としてはカペタのリスペクトが伝わらなくてカペタと気持ちを分け合うことが出来ないんだなあと。


サイバーフォーミュラとかだと、ライバルはみんな仲間になっちゃうし、ナイト・シューマッハあたりは敵になるんだけど、結局身内だったりするし、ライバルが憎む敵として描くのは難しいね。オリジナルの後半に出てくるライバルは、本人は良い人間なんだけど、その人間を操る技術と組織が倒すべき敵として表現したのは憎い敵と良きライバルを両立させる上手い手段だったかな。


あと、良い原作とアニメの関係と言う意味で、デスノートとか、原作は良いんだけど、まだ動画としての良さが出てないよなーと。ほとんど原作漫画を読めば面白さは堪能できてアニメを見る必要がほとんど無い。アニメ化のなかで唯一上手かったのが、ポテチを格好良く食べる箇所ぐらいと言う。
逆に原作でにあった
「…………。」
の使い方の上手さ、面白さが、アニメ化でスポイルされているところがなんとも。


一例として、
ライト「キラだと疑われていると想像してください」
L「…………。」
L「…………最悪な気分になりました」
みたいな、漫画だと「…………。」の間が面白いんだけど、アニメになったとき上手く生きていなかったのが残念だった。


この先ミサミサが出てきて、半ギャグマンガの様相を呈して来るんだけど例の「…………。」の間が殺されるかと思うと残念、つーか面白さを十全に楽しむなら漫画を読め!って気がするんだけど。


とか、アニメ化に適した素材選びって重要だ、とか、レースとアニメの関係は相性が良いなと言う話。