がくえんゆーとぴあ まなびストレート!

学園長の過去をやたらに取り上げるけど、特に興味ないのにな、
と思っていたら、彼女の過去にも、寮廃止への抵抗活動をしたという過去があって、その経験が学美達の現在の活動と繋がっている、という趣向があったみたい。


その事がどんな結果をもたらすかというと、学園長の過去も反対運動は成功しなかったけれど、反対活動に意味があったかなかったか、と言うことを問いかける役割をはたしているって事だった。


行動して失敗した後悔より、行動しなかった後悔の方が傷は大きい、とか、成功しなくても、反抗したという事実が自分を支えているとか、その時に共に戦った友達はかけがえのない友達だった、とか、そんなことなんだろうな。


確かにそうなんだけど、というか、なんとなく歯切れが悪くなってしまうのは、学園祭という物の魅力が描かれていないと言うか、生徒達の無関心もわかる理由に、中止された学園祭に対する魅力が表現されていなくて、漠然と学園祭というものは良い物だ、それを中止されるのは楽しみを取り上げられることで、抵抗しなくてはならない、という観念で話を動かしているからなんじゃないかと思う。


生徒達も学美達の活動に共感できないけれど、そもそもが学美達も学園祭をする意義を見いだしていない。
「学園祭の中止を受け入れたら、自分たちの学校が自分たちの物じゃなくなっちゃうから」みたいな事を学美が言っていたけれど、それじゃあ。なんだか判らないし。


要するに作り手もあまり理解していないことを道具に描いているみたいで、説得力を生じさせなかったね。


モモちんの乗っ取りプロモーションもなんとなく意義が判らないけど、漠然とだけど、友達って良いなとか伝わるクリップになっていた。意味としては、こんな楽しそうな人達が、学園祭しようとしてるんだから、みんなも共感しようよ、みたいな方向性にはなってた。


あまり論理的じゃないけど、確かに、学園祭をしたら嘘臭くても、楽しい場というのは発生するので、それを奪われた、という拒否感を生じさせる事には繋がっていくとは思うんだけど。


でも全体的に感情の整理が為されていなくて、漠然としているというか、感情を上手く捕らえて作っていると言うよりは、理屈先行で作っているんだなあという感触にはならなかったりして、


それはユーフォーテーブルが悪いって話じゃなくて、ドライな人間感覚の世の中だと感動的な物語は作りにくいよ、という根本的な問題なんだろうなあと。