コメント返し

maruz 『まぁなんにしろポリフォニカのDVDは売れなさそうなんで、またもや下田監督はダメ監督の烙印を押されるんでしょうね(ビジネスの世界は結果が全てですし)。一番売れたのは藍より青しになるのかな。あれはなかなか良かったのに。
しかしここまで失敗作が続くと、なにかアニメ監督としての別の要因があるのではないかと考えてしまいます。しばらく総監督みたいにちょっと俯瞰した立場になってみるのがいいのかもしれないですね。』

ああ、キツイ!
まあ自分もさんざんな事書いているわけですけど。
にしても下田作品に関しては、惜しいというか、見ていてなにかしらフックは感じるところはあるんだけど、とにかくダメというか、その辺、じゃあ下田監督じゃなくて別の人がやったらもっとまともに面白かったのか?と考えるとどうなのかわからないし、逆に下田監督だから、本来ならひど過ぎで無視するに値する作品だったんだけど下田監督のおかげでフックは感じる話になったのか?とかその辺が釈然としないとういう。
せめて原作に恵まれてみたらその辺の力量なんかは把握できるかなあと思うんですが。
藍青は、世間の評価はともかく、自分的には、ダメでした、なんかあの男尊女卑みたいな気持ち悪いほどの従順という事になっているあの感じがもう居心地が悪くて……。

ピコロ 『ぼくらの>原作未読で楽しんでいます。CMで『動力:命』と言っていましたが、そういうことだったのですね。一人ずつ死んでいって、契約していない女の子だけが最後に生き残るということになるのかな??』

っと、サイトもCMも配慮のないネタバレしてるし、いいかなと思ったけど早すぎましたかね。
その辺は色々と考えさせられる事になって面白いと思います。
どうしてそう言う設定にしたのかとか考えても、まあ答えは出ないというか、論理的な回答は無いと言うところなんだと思う。
単純に生命とはなにかとか、生きるということはなにか?とか戦うと言うことはなにか?とか、テーマを掘り下げるための設定であって、理由が存在することは不必要というか。
動力源に命が必要みたいな事に関してもどうしてそう言う仕組みなのかみたいなこと、理由が付いたところで意味が無いというか、むしろ要らないし。
考えると動かすの人の命がいる動力源なんて成立しにくい、っかそんな仕組み開発するなというか、そうじゃない方法で動かせる事を考えてくれよ、みたいな。
というか、そもそも原作上は、動くために命を動力源にしているという解釈だったかも怪しいし。

モヒロ先生は、
「ロボットアニメの主人公たちは、大きなロボットに乗って活躍して、いい思いをするのだから、命のひとつぐらい差し出すべきではないだろうか」みたいなこといっちっゃてるみたいだけど、本音は、そんなのジョージに聞けよ、って所なんじゃないかと思うんですが。


15人の意味だって単純に15少年漂流記なんてあるしとか、軽いところからの発想だろうと思うんだけど、その軽さが良いなあと思ったりしつつ、ひとり足りないとか、モヒロ先生のすごいなあと思うところは、ビッチリ考えて書いてるんだろうけど、ああやって遊びや隙を残しておいて、色々想像させる余地を残しておくところが凄いなあと。
まあそうした隙や遊びも考えた上での事だと思うので、ますますスゴイのですが。