ヒロイック・エイジ

見ているんだけど、感想が書きにくいというか、見ていて全然他人事のお伽話を見ているようでなんとも思わないんだよね。


その辺どういう理屈なのかと考えると、SFとか、どんなに荒唐無稽で軽佻浮薄な作品でも実はそこには現実の問題やテーマを判りやすくするための仕掛けとなっていて、問題を判りやすくするために極端な設定をしていたり、とか現実とリンクする要素があって、だからこそ荒唐無稽に見える話でも価値がある、という所なんだけど、この作品には今のところそう言う部分を自分には見いだせない、というところなんだと思う。


人類の未来とか将来とか、戦うこととか、争うこととか、そう言うことを考えさせられるでもなく、ただなんとなく黄金の種族という超越者の伝説の預言を現実化しているんだなあと言うだけで、なんも読みとれないと言う。


解釈のしようによっては、黄金の種族はともかく、英雄の種族とか、銀の種族とかの思想から現実にある国家の思想を当てはめて現実のこの先の世界とか人類のありようを模索することは出きるかなとか思うんだけど、そういう意図も余り無いような気もするし……。


英雄の種族は今でこそ数こそ少ないけど、マッチョなアメリカ的志向の人達だよね。自分が一番強くてだから自分が支配していかなきゃいけないみたいな間違った自覚を持って実力行使していたり、銀の種族はなに考えているかわかんないけど、今のところは、英雄の種族がいなくなった今、自分が一番で鉄の種族は滅ぼさなきゃ行けないと考えている、昔存在したナチが世界統一とか考えていたりユダヤ人を滅ぼすために虐殺したりと、ナチの思想がモデルにも見えるけど、いまさらだし、とか観客として、この話に見る価値を見つけられないのだなあと言う所。


なぜ現実世界では人類は戦い合うことを止めることが出来ないのかというのは疑問でそういう事と向き合える設定だとは思えるのだけどそうもなっていない。


自分では根本的に無知だから、理性が低いから戦いが止まらないんだと思う、現実の中東とか、支配層はともかく民衆は生まれたときから戦いが身近にあって戦いという悲劇がない生活がわからないとか、戦いは虚しいと悟る知性が低いとか、地球人全部がみんな知的であったら衝突は生じても実力行使を避ける道を取ると思うんだけど、あの世界の人々は、みんな理性的で愚衆ではないように見えるんだけど戦争をしていることが理解出来ないというか、観客的に納得できないという所があるんだよね。


理性的なだけでは戦いは無くならないから虚しいというのがテーマなら判らなくもないのだけど。