vermilion::text F11 構成中

いったいいつまで続くのだろう。
私は果てしない螺旋階段の中で座り込んだ。
五階の町はすべて内側に閉じていた。たくさんの人に声を掛けてわかった結論は、住人はすべて内面に閉じていて、世界の電波しか見ていず、聞こうとしていなかった。私はすごく疎外された感じで、一刻も早くあの階を出ようとした。
しかし人は他への入り口を語ってはくれなかった。そもそもが他の場所への興味など抱かないのだ。完全に自閉した電波の都だった。
あてどなく町を巡った。町の本屋には地図さえない。あの階の娯楽施設や美味い店の情報には溢れていたが、他への入り口の情報は全くなかった。
ようやくそれらしい階段を見つけた私はそれに飛びついた。
しかしその小さな塔の内部にあるような螺旋階段は、昇れども昇れども、果てがなかった。
途中幾度となく私は自分が誤った道を取ったのではないかと、絶望に囚われた。何度今来た階段を下りようかと思った。
こんな事ならばあの産婦人科病院の穴に戻り、有の商店でずっと過ごした方がいいのではないかと水筒を開けるたびに思った。
何度目かの休息をとり、あきらめ掛けた頃に、螺旋階段の天井が見えた。私は疲労も忘れ、夢中で階段を回った。
階段の突き当たりはがらんとした直線の通路になっていた。
私は失望を隠しきれず、歩みを進めた。
そして私はついに座り込んでしまった。通路の先には、再び螺旋階段が続いていたのだ。
私は気持を変え、ここで一夜をあかすことにした。蓄えの乏しいカバンからサンドイッチとおにぎりを取り出して食べると、カバンを枕に横になった。しんとした世界に耳を傾けた。
どういう世界なのだろう、どうしてここにいるのだろう、上にはなにがあるのだろう。クスミくんの住まいは別の次元だから通りすぎてしまったのだろうか。気持が塞いできた。有の商店にいた女性の恋人はきっと上にいるのだろう、彼に伝えるためだけでも上を目指そう。今日は休んで、明日こそ上に出られるさ。
  ☆
無駄とわかっていて水筒の蓋を開けた。口を付けてみる。なにもでない。試しに手で口を叩いてみるが、水一滴でない。乾きで口の中が切れて血の味がした。
すでに食料も底を付いた。
最初の日からもう三回夜を明かした。時間の感覚はない。三日以上昇り続けている。明らかに道を誤ったか、私の用意が不足だったのだ。もう戻ることは出来ない、戻ったら途中で動けなくなるだろう。このまま先を目指し、自分が死ぬか階段が尽きるかしか生きる道はない。
幸いにも階段の途中で行き倒れた死体は見かけていない。
水筒を戻すと、重たい足を引きずって階段を昇った。
意識ははっきりしていない。ただ前に進むことばかりを考えていた。自分が階段の終わりに差し掛かったのさえ気が付かなかった。
気が付くと、調子の狂った音楽が流れていたのに気が付いた。
私はハッとして、回りを見渡す。すでに螺旋階段はとぎれ、直線の通路に人の住む場所に来ていた。
石の通路を穿った住居が並んでいた。ほとんどが見捨てられ、無人の家とかしていた。私は音を頼りに人を求めて進んだ。乾いた石造りの住処で、傍らに蓄音機をおいた人物が、揺り椅子に座っていた。
「よう、客人、大変な様子だな」まだ青年と言えそうな男が言った。
「あんたは誰だ?」男が続ける。
「旅人です。水を下さい」
「ああ」
席を立ち、男は足が悪いのか、身体を大きくゆらせながら、窓のそばに行き、鉄の水入れを手に取った。鉄のカップを私に渡し、そこへなみなみと水を注いだ。
私は貪るように水を飲んだ。
あまりの乾きように男は水入れを下に置き「好きなだけ飲め」と揺り椅子に戻った。
「ありがとう」一心地付いた私は礼を言う。とたんに空腹が襲う。
「あの、出来ればなにか食べ物も頂けませんか」あまりの空腹に今までの自分では考えられないことだが、食を乞うていた。
「ああ気にするな、そういうやつは一杯来る。いつものことだ、用意しているよ」
「ありがとうございます」胸の中が熱くなるほど感謝の思いが沸き上がった。
暖かいシチューとパン、薫製の肉やソーセージやチーズや甘い果物を振る舞ってくれた。
話によればやはり私の備えが足りていなかった。背負えるだけ食料と水を供えるぐらいしないと、この回廊は越せなかったと言うことだった。男の役目は、私のような備えの足りない人間のために、ここで番をすることだった。
「お前はなにをしに来た?」食事も終わり、落ち着いて、琥珀色の酒をご馳走になっていると、男は聞いた。
「いいえ、ただ上に上がってみようと思って」
「ふん、おめえも、そういうやつかい」
「そういうやつって、他にも居るんですか?」
「ああ、上、上、上ってそればっかりだよ、上になんかなーんにもねえ!」
「そうなんですか?」
「ああそうだよ、なにもないさ」
そういうと男はじっと自分のグラスに目を落した。
「あなたは上に行ったことがあるんですね」
「昔のことさ」
男は肩をすくめると、グラスを一気にからにした。
結局その日はそれでお開きになりその話はそれっきりになった。
私は翌日もその翌日も体を休めると言うことで、ここに留まった。厄介者が居て蓄えは大丈夫なのかと思ったが、男はなにかと私を引き止めたがっているようだった。私も男が無理をして引き止めるなどと言うことはしないだろうと思ったし、なんとなく男の事が気にかかって、言われるままにしていた。実際に私は疲れ切っていた。ここを立って、本当に上を目指す気持になるのかわからなかった。思った以上に飢えの苦しみは私を弱くしていたのだ。
その後仲良くなって男はいろいろと語ってくれた。昔上を目指したこと、蓄音機のレコードはそのときの戦利品だった。時計も見せてくれた。そして、一番の宝物の話もしてくれた。
男は誰より上に行き、その宝を手に入れるために怪我をしたのだと。私はそれを知りたがったが、教えてくれなかった。謎めいた革袋を見せて、これは俺だけの秘密なんだ、と言った。
男の好意に甘えているわけにもいかない。蓄えも限度があるだろう、出来れば上に上がれるだけの食料も譲ってもらいたかったし。私はそのことを男に告げた。
「わかった、そうだな、明日立つがいい。支度は用意しよう」
男はそう言った。そして最後の晩の酒席、男はいつも以上に飲んだ。
そして酔って荒れた。
「どいつもこいつもはわかってない!上なんかにはなんにもないんだ。バカが!そうさ、俺はあきらめたんだ。怪我をしたからあきらめたんじゃない!あきらめる口実だ!そしてみんなあきらめる、あきらめるために上に昇るようなもんだ」そう言って男は荒れた。
「貴様もそうだ、無駄なことはやめてしまえ!」男は私にまで突っかかってきた。
私の中にどこにそんな思いがあったのかわからない。
気が付くと男を殴り倒していた。足の不自由な酔った、あきらめた男を。
男は立上がると、私に向かってきた。私は夢中で男に飛びかかり、男を組み敷いていた。手近にあった紐で男の手を後ろに縛った。
「うるさい、黙れ。負け犬!こんな所でくすぶっているくせに、でかいツラするな!」私は怒鳴りつけた。
「もう行く」
私は男の用意した支度を手に取った。
「これはいただいていくよ」
男の時計を奪い、男の宝物だと言った革袋も手に入れた。
「好きにしろ」
男の好きだというレコードも手に取ったが、かけることも出来ないので、ジャケットだけ手に入れた。
引き出しからハサミを取るとベッドに座った男のあぐらの上に投げた。
「じゃあ、俺は上へ行くよ」
私はそう言ってその場所を後にした。
どうして自分がそんなことをしたのかわからない。命の恩人の人間なのに。
そしてそんなことをする人間だと自分でも思っていなかったのになぜなのだろう。
男のなにかが私にこんな事をさせたのだ。
そしてどうしたわけか、そのことを思い出しても、あまり心は傷つかないのだった。
上に上がってから男の宝物だという革袋を開いてみた。そこに入っていたのは、しっかりとした鍵の掛けられた本だった。袋の中を見ても鍵はない。
中身のわからない本が男のすべてだったのだ。
私は二度とあそこへは戻らないだろうと思った。
http://d.hatena.ne.jp/hinocha/20030425#1051250513