vermilion::text F5 構成中

ようやくのことで、上にたどり着いた。
五階への足取りは予想以上に困難だった。言われたままに大木の元にたどり着いた私は、呆然と樅の木を見上げた。そして樅の木のはるか彼方から垂れ下がっている一筋の蔦。
せめてもの救いは、その蔦が一本ではなく、なん本も絡みついて、公園にあるような網の遊具のようになっていたことだ。もし一本の蔓だったらとても上へ昇ることは出来なかったろう。
たしか一階の絵を売っていたクスミくんは12階だと言っていたはずなのだけど。もしかすると、あそこで四階に降りしてまったからだろうか、そのまま素直に昇って入れば普通に昇っていけたのかもしれない。それぞれの階がそれぞれの法則を備えているのかもしれない。
私は登り切り一息ついていた。すっかり疲労で凝り固まった腕をもみほぐす。
そしてまたここも奇妙な世界だった。
まず目に付いたのが、無数の鉄塔。見渡す限り大小の鉄塔のシルエットが並び、張り巡らされた電線が、ジ、ジ、ジ、ジ、ジ、ジ、という高圧線の静かな唸りをあげている。
そして鉄塔の間に立つ見慣れない塔。鉄塔の方はその形ですぐ高圧鉄塔とわかったが、その用途はわからない。携帯電話の電波塔のようにも見えた。
http://d.hatena.ne.jp/crea555/20030421#1050933765
空は鈍い鉛色に被われていた。改めて周りを見回す。タイルの床に穴があきそこへ蔦が下がっていた。その穴から上がった来たのだ。そばには奇妙な形の椅子が雨ざらしになっていた。しばらく眺めていて、ようやくそれが分娩台であることに気が付く。ここは産婦人科病院の分娩室だった。壁は壊されて更地に近くなっていたので理解しにくくなっていた。
分娩室の穴を通ってこの世界に再び生まれ落ちたのだ。
身支度を整えると、とりあえず立上がる。奇妙な塔の元に行ってみよう。
町の様子は私が一番親しんだ町に近い。画一的な四角いコンクリート製の家が並び、人々は道を歩いていた。似たような特徴のない車も車道を走っている。すれ違う人々の表情は虚ろで、なにも見ていないようだ。私と誰も目を合わさない。わたしも声を掛けることも出来ずに、町をさまよった。コンビニらしい物もある。人間は吸い込まれ、雑誌を眺め、食品を買い求め、飲み物を選び、店を出ていく。あまりに当たり前さに私は興味すら持てなかった。
四方を見回し、電線と鉄塔と塔の並ぶ町で、ひときわ高い銀色の塔を目指してみることにした。
あまりに大きすぎて、目標を何度か見誤ったが、塔の元にたどり着いた。
唐突に、にょっきりと、土から生えるように立っていた。もっと根本は鉄塔のように近寄れないように柵に被われているものかと思っていた。
近づいてみると、銀色の塔の壁に吸い込まれるように白骨があった。朽ちた白い骨が銀の鉄に溶け込んでいる。本物のようだ。いったいどうしたことだろう。人柱、とでもいう物なのだろうか。
見当もつかなかったし、その塔がどんな役割をしているのかもわからなかった。塔を見上げると、中程に、動く物があった。規則的に突き出したハシゴを昇っている物がある。茶色い固まり、熊のように見えた。まさか。
目を凝らすと子供のようだった。
「危ないよ!」
私は声を掛けた。が、構わず、もそもそと昇っているようだった。どうしたものかと見ていると、上部は風が強いのか、服が煽られて膨らみ、片足を踏み外したようだった。慌ててしがみついたようだ。
「降りておいで!」
風が収まって再び声を掛けるが、やはり止める様子はない。
しかたがない。私はカバンの位置を確かめると、手すりに手を掛けた。
上を見ながら昇っていく。子供の歩みより早く手を足を繰り返し、追いつこうとする。
子供はそれに気が付いたのか、昇るペースを速めた。私たちは黙々と昇り続けた。
「おーい、危ないよ」
やっと声が届きそうにまで距離を詰めて私は声を掛けた。
「ほおっておいて!」
細い声が帰ってきた。
少女のようだった。
「やめるつもりはないの?」
「ほっといてったら!」
「別に、やめさせに来たわけじゃないよ」
「じゃあなに!?」
「困ってるんじゃないかと思って」
「おせっかい!」
「……じゃあ降りるよ」
「よわむし!」
プッ、私は思わず笑ってしまった。結局の所少女は心細いのか、共に昇り続けて連帯感を感じたのか、私に降りては欲しくないようだ。誰かに相手にして欲しかったのだろうか?
「わかったよ、落ち着いていこう」
そう答えると、私はペースを上げ、少女の二、三段に後に追いついて、並んで上に昇っていった。高くて私は口をきく元気もなかった。黙って手足に集中しながら、少女にも危険はないように、観察しながら昇った。
ようやく上にたどり着いた。
「ふう」
ため息を付いて、上に上がる。塔の上部は、一応人も居られるように考慮されているような形状だった。
「どうして、こんな塔に昇ったの」
私は少女にきく。少女は返事をしない。少女を見ると、突き立ったアンテナのような所にいる。
立ち上がり近づいた。
改めて少女を見ると、熊の着ぐるみの、寝間着のような物を着ていた。フードがあり、それを目深に被っていた。そして一心に目の前のアンテナを見ていた。
アンテナの基部に頭蓋骨があった。顎から目を貫かれ空に伸びる金属の途中に引っかかっていた。
「なんでいったいこんな事に」
「おかあさん」少女が言った。
「え」
「おかあさん、おかあさんは塔になったの」
「そんな、人は塔にならないよ」
「なるんだよ、この町の人はみんな塔になるんだよ」
私はその言葉を信じた。こんなに塔が立つ奇妙な町。この天に伸びる無数の塔は、この町の人間なのだろう。だからこの少女は塔に昇ったのだろう。
「そうか」
「おかあさん、やっぱりいない」
少女はフードの中で泣いた。隠されたフードの下から水滴が溢れ、下のドクロを濡らした。
「お家の人が心配してるだろ?」
少女は首を振った。フードの熊の耳が揺れる。
「おかあさん答えて、あたしになにか言って!」
少女は天に向かって叫んだ。叫びながらアンテナの周りを回る。
「無理だよ、おかあさんは天国に行っちゃったんだよ」
「そんなことない、塔になった人は電波出すんだもん!聞こえるはずだもん!、おかあさん、あたしの名を呼んで!」
「危ないよ落ち着いて」
急激な風が吹いて、少女の身体は舞い上がる。私は慌てて少女に手を伸ばす。
そのときなにものかの叫び声が聞こえた。いや、風の轟音だったのかもしれない。
私たちは転がり、塔のへりに投げ出された。私は少女の手を掴んでいた。少女は投げ出され、私が落ちる少女の手を取っているという格好だった。
「だいじょぶだから、今上げてあげるから」
私がいうと、少女は掴んでいた私の手を叩き始めた。
「じっとして暴れないで」
「離して、あたし落ちる、おかあさんの所に行く!」
「なに言ってるんだよ。レイン」
私の手を叩く少女の手が止まった。
「どうして?」
「聞こえたよ。お母さんの声、『危ないレイン!』って」
「うそ!」
「じゃあなんで僕が君の名を言えるんだい?」
私はおとなしくなったレインを抱き上げた。
「私には聞こえなかった……」
「でも僕には聞こえた。いつか聞こえるようになるかもしれない、だから死んじゃいけない」
「わかった?」
熊の耳が縦に揺れた。
じゃあ降りようか。
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