vermilion::text F4 構成中

画商に言われたように、右の通路を進むと、上層へ続く階段があった。ここまで来てもう戻る必要もない。私は階段を上っていった。階段の様子は、一言で言えば「素っ気ない」と言う物だった。一階のような品の良さはなく、石のような階段に、むき出しの緋色の壁、どこからともなく射し込んでくる光が行く先を照らしている。
登って回ってまた登る。一階分登ったことになるのだろうか。
二階、確かに踊り場はあるようだが、その先は、空間はあるような感じるのだが、漆黒が広がっているばかりだった。とてもなにかがあるとは思えず、その暗黒に足を進めることなど到底出来そうもなかった。その闇へは、よほどの思いこみがなければ、進んでいけないだろう。
私はさらに上の階へと進んだ。
三階、やはり同じ闇が支配していた。そのかわり、どこからか香ばしいコーヒーの香りが鼻をくすぐっていた。どうやら上の階から流れてくるらしい。誰かいるのだろう。私は導かれるように階段を上っていった。
四階だった。なんとも言えぬ奇妙な光景だった。素っ気ない階段の先に、自然があった。薄暮れた曇り空の光が頭上から降りそそぎ、草が風に揺れていた。とても建物の中と思えない光景だった。その先にウッドスタイルのカフェがあった。
鼻腔をくすぐる芳ばしい香りに誘われて私は一歩踏み出した。足元をわける草の感触を感じる。私は振り向くと、今来たはずの階段は消え去っていた。背後には草のなびく森が広がっていた。
道を失った恐怖に囚われたが、なんとかなるだろうと言うような気持がした。
カフェに向かって歩き出した。
近づいていくとテラスがあり、椅子や机が並べてあるのが見えた。傍らのテーブルセットに老人が腰掛けていた。白いひげを蓄えて、パイプを手に空へ白い煙を一筋昇らせていた。
その向かいにはもう一人淡いブルーの服を着た人物が座っていた。金色の髪が流れて椅子の足元まで届きそうだった。
老人が私に気が付いて、パイプをくわえて一口吸った。ポワッと白い煙の固まりが老人の挨拶だった。私は老人目礼を返す。
と、それに気が付いた私に背を向けている人物が立上がると振り向いた。
「いらっしゃいませ、有の商店へ」
振り向いた彼女は透き通るほどに白い肌をし、輝く緑の瞳をしていた。アーモンド型の整った輪郭を軽くウエーブのかかった金色の髪が縁取る。額にはアクセサリーなのか紅い宝石を付けていた。
「こんにちは、いや、あの私は」お金を持っていない私は商店と聞いて戸惑った。
「さあさあ、お掛けになって、お疲れでしょう。今コーヒーをお持ちしますね」
と彼女はそばの椅子を促す。
「いえ、私は、お金を持っていないのです。たぶん」
「あら、お客様、大丈夫ですよ、ここは、ボルゾイさんのお店ですもの。ね、おじいさま」
ポフ、返答らしい煙の玉が一つ。
「お金は頂きません、どうぞごゆっくりして、おくつろぎ下さい」
そういうと彼女はコーヒーを取りに室内の方へ向かった。私は席を離れ、老人の方へ近寄った。
「ご一緒してよろしいですか。ここは、とても気持ちの良いところですね」
椅子を引き私は座る。老人は答える様子もなく黙っていた。私たちの間にぽっかりと無言が浮かんでいたが、老人の気配のせいかまったく気にならなかった。
「うむ」
しばらくして老人が答えた。それはとても自然なように見えた。
「ここはなにを売るところなのですか?」
しばらく間があった。
「自由じゃ」
「自由?」沈黙の後に発せられた答えに私は戸惑った。
「うむ、お前さんに売ってやる自由は無いようじゃ」
今度は私が沈黙する番だった。
「私には自由がないと」
「あら、難しい話をしていらっしゃるのね」
コーヒーをお盆に乗せてきた、彼女が話しかける。
「どうもありがとう」カップを受け取る。
「こちらはクッキーとマドレーヌ。お口に合うといいんですけど」
「あ、これはすみません。美味しそうですね。あなたが?」
「はい、なんとか」
「ではいただきます」
口にしたマドレーヌはしっとりとして、程良い甘さだった。
「美味しいですね。これは本物だ」
「ありがとうございます」
「もったいない本当にお金を取れますよ」
「お客様は外郭の方ですか?」
「ええ、そのようなんです、わかりますか?」
「はい、この世界では、あまりお金は意味がないのですよ」
「そうなのですか」
私はなんとなく恥ずかしい心地がしてきていた。一口啜ると、コーヒーは口の中で豊かな風味をかもした。染み渡るほど本当に美味しい味だった。
「そうそう、お話の続きでしたわね」彼女が促す。
「そうでした、自由の話でした」
「お前さんはもうすでに自由じゃ。これ以上売れる自由はないと言うことじゃよ」
「そう言うことなのですか」
私は老人の言葉の意味を噛みしめていた。理解出来るような理解出来ないような話だった。まあ、確かに、夢の中であるはずだし、私を縛る物など無いのだろう。
「お客様はこれからいかがなされますか?」
「ええ、もっと上に上がってみようと思っています」
「まあ、なにかご用事が?」
「いいえ、私は目的を持たないようなのです。この場所に来て、特に目標も目指さない、見つからないような存在なのです」
「まあ……」
彼女はふと暗い表情を見せた。
「どうかしましたか?」
「いいえ。実はわたくしも」
そう呟いて彼女は私の顔を見た。
「なにか、なにかとても大切な物をどこかに忘れてきているような気がするのです」
彼女は私の目を見据えて呟いた。
すると、ほんのりと彼女のひたいの宝石が淡い輝きを放った。
http://d.hatena.ne.jp/cc2/00000600
わたしの中に一片の物語が溢れた。
気が付くと、私のほほに一筋の涙がつたうのを感じた。
「どうしました?」
突然の涙に彼女は当惑して尋ねる。
「いいえ、何でもありません」
私はほほの涙を手の甲で拭う。
私は知ってしまった。彼女を救うために、二つの重りをみずから背負った青年のことを。
青年がどれだけ彼女のことを愛していたかを!
私にはとてもそのことを彼女に教えることは出来ない。
「申し訳ない。私はもうたたなければいけないようです」
私は立上がった。
「そうですか。ああ、お客様」
彼女はそう言って、小振りの革の肩掛けカバンを取り出した。
「お持ち下さい。旅に手ぶらは禁物ですよ」
「いえしかし、そんなに甘えてしまっては」
「遠慮なさらずに、私には必要のない物ですから、お使い下さい。水筒とナイフとお食事が入っています。旅の途中でお召し上がり下さい」
そう言って彼女は鉄で打った水筒を取り出す。それには見覚えがあった。先ほどの幻で見た青年の持ち物だ。
「そんなに大事なものをいただくわけには」
私は彼女の大事な恋人の持ち物を持つことなど出来ないと辞退した。
「持って行きなさい」
老人が言った。
「しかし」
「大丈夫、きっとそれがお前さんのここに来た意味を生み出してくれるじゃろう」
「ありがとうございます。大切にします」
私はその革カバンを受け取った。
「お気をつけて」
彼女は私にカバンを掛けてくれた。
「はい、あなたの忘れ物が見つかるといいですね」
「ええ」そういうと彼女は微笑んだ。
「上への道は、あの高い木が目印ですよ。上から垂れている蔓をよじ登るんです」
「ええ!それしかないのですか?」
「はい、どうかしましたか?」
「高いところは苦手のようです」
「がんばって下さい」そうしてまた彼女は微笑んだ。
「はい、それでは」
私はまた上へ昇ることにした。
http://d.hatena.ne.jp/crea555/20030421#1050933765