vermilion::text 1F 推敲中

外から見た塔の外観は、ひっそりとしていた。死者がひっそりと眠る墓標のようにも見えた。活発な生き物の気配はない。ひっそりと忘れ去られた図書館のようだった。
玄関のような物も見える。建物のわりには、こじんまりとして、人を吸い込む魔界の入り口のようにも思える。こんな中へ入り込んで大丈夫だろうか。
もっと立派な神殿の入り口のエントランスのような物があってもいいはずだか、その様な物は見あたらない。玄関はまた別の方向にあるのかもしれない。通用口のような物なのか。他者の気配もないが、用心しながら入り口に近づいた。
スモークのガラスドアだった。自動ドアのようだ。ちゃんと開くのだろうか。と思いながら近づくと、するりと扉がスライドした。
とたんに中から、不思議な独特の匂いが漂ってきた。
導かれるように室内に入る。室内の照明は外界より暗い。所々に電球の黄色い光が落されている。
緑色の絨毯に緋色の壁の落ち着いた装飾だった。人の気配もざわめきもない。しんと静まってあらゆる音は壁に吸い込まれているようだ。
無人のホテルのような廊下を進む。廊下の分岐にさしかかる。十字路だった。見渡すと同じように廊下が続いている。規則的に仕切られた不思議な空間の室内だった。どの廊下の行き先も、照明が暗く落ち、どれほど続いているのかもわからない。
しばらく迷い、真っ直ぐ進むことに決める。真っ直ぐ進んで、真っ直ぐ戻ってきたら迷うこともない。
決めるとなにかの気配や入り口を探して足早に進んでみた。
いくつ目かの十字路に立ったとき、右の廊下の先に人物がいるのを見つけた。あまりの無人さに虚を突かれ、動悸が速まる。目を凝らすと少女だった。中学生か小学生か、自分より頭二つ分ほど低い背の、女の子だった。なにか荷物を背負い、髪の毛を編んで白っぽいワンピースを来た少女が、ポツンと立って、こちらを見ていた。
「こんにちは」
私は声を掛け、そちらに向き直る。少女はなにも答えないが、怯えた様子もない。私は近づいた。
「きみ、一人?家族の人は?他に誰かいないのかな」
やはりなにも答えない。じっと自分の顔を凝視している。
近づいてみると、整った顔立ちの少女だった。なにも言わず、私の顔をじっと見上げると、顔を下げ、ワンピースのポケットに手を入れる。何事かゴソゴソしていると、一枚の手紙を取り出した。少女は手紙を突きつけるように差し出す。
当惑しながら私は受け取る。表書きを見、裏を返す。どちらにもなにも書いていない。封が閉じられた白い封筒だった。
目を上げると少女の姿は消えていた。廊下の先に目をやると、ちょうど白いワンピースが角を曲がるところだった。
「ちょっと、ねえ!」
私は声を上げ、少女を追った。曲がり角を曲がると、もううすでに少女の姿は消えていた。
私は呆然と立ちつくし、手に残された封筒をいじりながら、どうしたものかと考える。夢の中の事だからと気持を変え、封筒を開けてみることにした。
中に一枚の折られたカードが入っていた。引き出して開いてみると、言葉が書いてあった。
プロダクティブ・エージング
プルーリアクティビティ
さっぱりわからない。
少女の消えた方から、初めにこの建物に入ってきたときに匂った香りが強く流れてきた。カードをポケットに入れると、匂いの方へと進んでみた。
通路の先に入り口らしい物が見えてきた。近づいて中をうかがう。
内部はギャラリーのようだった。かなり大きい、ちょっとした美術館のように、壁に絵が掛けられ、スポットの光を浴びている。
誰かいるだろうと、中に入ってみる。香りはますます強まったが、人の気配はない。静けさに声を出すことも阻まれ、壁に掛けられた絵を眺めながら奥へと入っていく。
奇妙な感覚だった。改めて会場と絵を見渡すがその原因は分らなかった。
さらに奥へ進むと、穏やかな人の話し声がした。なにやら喋っているようだった。
声を掛けるより、その会話に耳を傾けた方がなにか得られるような気がして、私は、傍らにあった椅子に腰を掛け、聞き耳を立てた。
http://d.hatena.ne.jp/watercolor/100002
会話の内容は画商と画家の会話のようだった。
その内容を聞いて、先ほどの私の感じた違和感を理解した。
展示されている絵には、どこかで見たような作品があったのだ。
それが、模写なのか、模造品なのか、それとも本物なのか、私には絵の知識が乏しいので判別が付かない。
そっと立って近づいて絵の下に掛けられたタイトルを見ると、落ち穂拾いであろう模造品の下に「夕暮れ」と書かれている。あくまでも、この誰でも知っている有名な絵にそっくりに見える作品を自分の作として展示してあるらしい。
よく見ると、モチーフと技法が交錯した作品もあるようだ。
いったいどうして、ここの画商はこのような奇妙な絵を展示しているのだろう。
そろそろ潮時と思い、私は絵を眺める振りをして、声の方へ移動していった。
「こんにちは、いらっしゃいませ」
穏やかに画商らしき人物が声を掛ける。五十代ほどの紳士だった。
「こんにちは」
「ようこそ、絵をお探しですか?」
「いえ、通りかかって、ちょっと覗いてみたのです」
「ああこれは、ゆっくりごらんになって下さい」
「ええ。こちらは画家の方ですか?」
なにかきっかけはないかと、画商の向かいの青年に声を掛けてみる。
「なかなか才能のある青年ですよ」
「よしてくださいよ、散々かわり映えしないとかいったくせに。クスミミナトと言います」
「はじめましてヨネサキです」
「どうですか、もしよろしければお茶でも飲んでいかれませんか?」
「あ、オーナー」
「どうしましたクスミくん」
「いえ……」
クスミという画家はなぜだか当惑した様子で浮かせ掛けた腰をソファーに戻す。
これは好機だ。
「それは喜んで、頂かせてもらいます。この建物に入ったときから、匂いがしていましたよ。楽しみだ」
私は促されるままに、クスミ青年の隣に腰掛ける。
「皆さんは、この建物の中にお住まいなのですか?」
「ええもちろん、12階に、ヨネサキさんは」
「あ、ええ」
どうした物だろう、正直にうち明けた方がいいのだろうか。
「もしかして、ヨネサキさんは外からの方ですか?」
画商がお茶の用意をしながら声を掛ける。私と同じ情況の人間もいるらしい。
「どうやら、そのようです」
「外郭の人ですか、初めてですよ」青年がいう。
「外郭?」
「ええ、外からの人をそう呼ぶんです。どうなんですか?外って」
「どうと言われても」
「クスミくん、お客様に失礼じゃないか。失礼ですが、こちらに来たばかりですか?」
「そうですね、ここが見えて、入ってきて、初めて会ったのがあなた達です」
「そうですか、vermilionにようこそ」
vermilion?」
「ええ、それがここの名前です」
「壁の色が紅いからそう呼ぶんですよ」と青年が横から説明する。
「なるほど、あ、ではいただきます」
画商が差し出したソーサーのカップを引き寄せると取り上げた。カップの中は、壁と同じ紅い飲み物が入っていた。
「うっ」
一口飲んでみた。それは苦く複雑な味がした。インド人が風呂掃除をしながら蒲団を叩き、干しさくらんぼうを敷き詰めた坂を転げ落ちながら、ゴム草履の裏を舐めているような味だった。
「どうですか?」
クスミ青年が聞く。先ほどの彼の挙動の意味が身に染みた。
「不思議な味ですね。これはこのままで飲む物ですか?」
「砂糖もミルクもレモンもありますよ」
画商が答えるが、あまりかわりがないような気がした。
「いいえ、このままで結構です。それでは皆さんは、ずっとこの塔の中で暮らしてきたのですか」
「ええ、ここで生まれてここで死んでいく者がかなりの数います。あなたのようにここにたどり着いた者もいます」
「この塔以外にはないのですか?」
「わかりません。塔以外の場所から来た者もいない。塔を出て行った者はことごとく帰ってこない。ここに暮らしていて特に不都合もない」
「僕は絵を描き、オーナーが売る」
「なかなか思うようには売れませんが」
「ひどいなまた。まあ売れなくても暮らしていけるんですけどね」
「どうですか、せっかくですから、彼の絵を見てみませんか」
「ええ喜んで」
先ほどのやり取りを思い出していた。変わり映えのしないという青年の絵。剽窃という行為の概念のない絵師の作品。
クスミが傍らに立て掛けた絵に掛けられた布をはずす。
そこに描かれていた絵は、ムーラン・ド・ラ・ギャレットだった。ルノアールの作だ。カフェの様子をゴッホっぽい、厚塗りのタッチで書かれている。
私はしばし、その絵を凝視し、青年と画商がなにかを期待しているのか彼らの顔を交互に見た。
「いい絵ですね、明るい感じがする」
彼らがからかっているとも思えず、ありきたりな言葉を選んだ。
「どうも」とクスミは言う。
「先ほど聞くともなしに聞こえたのですが、剽窃をする作家がいたとか」私は聞くべきか迷いながら口にした。
「ええ、昔そんな作家がいました」
「その作家の絵はあるのですか?」
「とんでもない、残念ですが、展示するわけにはいきません。彼は芸術家ではないのです」
「そうですよね」私は複雑な気持で、クスミの絵に目をやり、何点か見覚えのある絵の掛かるこの会場を見渡した。
おそらく彼らは知らないのだ。きっと私の世界とこの世界は違っている。私の世界の偉大な芸術が溢れ、この世界に流れ着いたのだろう。それだけのことだ。彼らはまたこの世界では、偉大な芸術家なのだろう。
「ところでクスミさんはこの絵をどんな気持で描いたんですか?先ほどは、よくわからず描いているようなことをおっしゃっていたようですが」
「そうですね、そう言えば、その様なことを考えたこともなかったな。感じるままというか、なんとなくです」
「あなたは彼の絵をどう見ています?」
画商に尋ねてみる。
「彼らしいと思いますよ」
「そうですか」
「もしかしてあなたは僕の絵が剽窃と思っているのですか」
「いいえ違います」私は首を振った。
「ただ、私の世界では見たことがある、というだけです。きっと世界が違うんですね、私の世界ではとても評価されている絵です。きっとあなたはこの世界では素晴しい才能を持っている人なんですよ、おそらく」
「そんな、僕の絵が僕の才能じゃないと」クスミは動揺しているようだった。しまった、言い過ぎた。
「クスミさん申し訳ない。私が言い過ぎた。自分の尺度で測りすぎました。あなたの才能が私の世界の画家を変えているのかもしれない。気にすることはありませんよ。他にもあるんです、この店に掛かっている作品にも見たような作品が」
「そうでしたか。なるほど、それは面白い。我々はそんなことも考えず、剽窃の作家を責めていたわけだ」今度は画商が気落ちしてしまったようだ。
「そんなことはありませんよ。なにか世界が違うのですから、きっと当てはまりませんよ」私は取り繕っていると感じながら言う。
「いや、本当だ。クスミくん、君のこの絵、ルノアールムーラン・ド・ラ・ギャレットじゃないか、いったいなぜ気が付かなかったんだろう」画商は今気が付いたと言わんばかりに目を見開きクスミの絵を見ていた。
クスミは青い顔で座り込んでいた。
「ああこれも、なぜ!私は店に、剽窃作品ばかり並べて展示していたのか!」
画商は惚けたように店内を見回す。
私はどうしていいのか判らず、彼らを見上げていた。
ふと思いついたのが、少女から受け取ったカード。ふるえる手でカードを引き出し、それを読んだ。
「プロダクティブ・エージング
すると、彼らは動きを止めた。
固まったように動かない。まばたきもしていない。
彼らの前に回り込む。どうやら彼らは機械のようだった。
限りなく人間に近い機械。想像力のもたない機械。機械が絵を描く。想像力がないゆえに、過去の作家の模倣や技術のアレンジをして、芸術を生み出していた。そして彼ら自身気が付いていなかったが自分のアイデェンティティを求めていたのだ。
そして彼らは、自身のことを知ってしまった。どうしたらよいのだろう。この言葉で止められたけれど、なにを意味するのだろう。
もう一つの言葉で、再び動くのかもしれないけれど、彼らは元に戻るのだろうか。
このまま去ってしまいたがったが、自分に責任があるだろうと、責任を果たすことに決めた。
「プルーリアクティビティ」
再び彼らは生命感を取り戻した。
「ああ、これは、すっかりお茶が冷めてしまいました」
画商は私のカップを見ていった。
「いえ、構わないでください」私は冷めたお茶を啜った。
「ところでこの世界は、どうなっているのですか?」
「そうでしたね、ヨネサキさんはこの世界が初めてだったんでしたね。一階はほとんど美術と文章に溢れています」
「美術館と図書館みたいなものですよ」とクスミは言う。
「上階に上がればもっと人間らしい生活があります。ここは奇妙な世界で、様々な様式の生活が折り重なっている世界なのです」
「そうなのですか、危険な所なのですか?」
「いいえ、そんなことはありません、皆基本的には親切です」
「そうですか、ではそろそろ失礼します。クスミさん、あなたの絵とても良いです、いつかまた飾りたいと思いますよ」
「そうですか、ありがとうございます」
「では」
「どちらへ?」
「上に登ってみますよ」
「そうですか、右の通路の先に上階への入り口がありますよ」
「ありがとう、お茶美味しかったですよ」
「それはどうも」
私は絵を眺めながら画廊を出ていった。
そしてわかった。想像力のある人間の描いたオリジナルな絵と、機械の描いた剽窃の作品。そして、私がことごとく感銘を受けたのは、機械の描いたレプリカの作品ばかりだったのだ。
上階に上がってみよう。
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