機動戦士ガンダムSEED

うあー……。終わったね。
フレイさんの散り際は、物語で一番初め、幼女の救難船を救えなかったという時と同じ構図で、今度は盾が間にあい救えた、と思わせて、ボカーン、という、大変意地の悪い物だった。世の中はどんなにがんばっても、無駄!という福田監督からのメッセージだと受け取っておこう!
ネタバレ記事をつい読んじゃって、確認作業だけになってしまった。アスラン父撃たれるよなあ、やっぱり撃たれたなあとかそんな感じて特にその表現から受け取る物も無し。
シャアもどきがいろいろ行っていたけれど、その理屈に染み入る物も無し、なんか頭の良さそうなことをいっているよ、としか感じられなかった。
色々とあって、アスランの涙やカガリの涙やキラの涙や、色々な涙を見たけれど、特に何も共感するところはなかった。画面の中の人と言うだけで、共感はしない。と言っても物語はみんなそうなんだけれど、意識の中で生きていれば、共に感涙することも出来るけれど、ガンダムシードの登場人物には、人間味を感じなくて、意識の中でも生きていない画面の中の人であった。シードはずっと表現が稚拙だしリアリティーがなかった、なにかと思い出しばかりしているし、その思い出すシーンだって、気持が通った物じゃなかったし。シードの中で自分だったら死んで泣くのは、サイかなあ、周りの人に優しくて、あんなやつがもしだれかのために死んだら泣いてしまうだろう。そんな感じて、人間性を感じない物語の駒が死んだり、生き延びて再会できても、別に心を動かされることは無い。
結局、見た目の絵だけは豪華な物語だったという印象のみ(その分回想過多で上げ底)。
まだ電童のほうが燃えたよ。