雑談 漫画とアニメのメディアの環境の違いのこと

長いし大したことじゃないので読み飛ばしてください、文化の日だし余興と言うことで。
「やっぱりマンガの方がアニメよりすごいよな」
という事はよく目にするし、自分でも、そうだよなあと思う。
アニメがダメってわけじゃなくて、マンガの物語の面白さとか能力って、異常なぐらい水準が高いんじゃないかと思う。
自分でもそう言うように認識していて、ちょっとネット上の知り合いの日記とかにそう書いてあって、そうだよなあと共感しつつ、それってどういう構造なのかとか、考えているうちに、そのことはおおむね正しいんだけれど、違う側面から見ると、正しくないとか、ちょっと捉え方が違ってたかなとか、いろいろ思ったという話。
アニメはダメって言っても、アニメとマンガの総数って、意識しないけど、かなり違うんだろうなと思った。
このところアニメは多いと言われる、確かに、週50本とか、そんなの消化できるわけがない。実際にはすべてのアニメはキッズアニメから加えれば総数100本とかすごいんだろうけど、オタクやマニアやハイティーンとか、教育的な要素を含まない、娯楽としてのアニメは、まあだいたい50本とか、そんなぐらいと捕らえていいなじゃないかと思う。
それに対してマンガって、一冊の少年誌で何作だろう、18大連載とか言うし、まあ、15本あるとする。ジャンブ、マガジン、サンデー、チャンピオン、四冊で、もう60タイトルあるという事になる。それだけで、すでに現行のアニメタイトルを上回る。それらにヤングを付けるだけで青年誌が成立するし、その他にも、マイナー作品用の増刊なんとかとかつくのもあるだろう。
と考えると、それだけで12冊、一冊15タイトルで、総数、180タイトルになる。週に週刊誌だけで180タイトル消費されていると言うことになる。
それに加えて、週刊誌を出している出版社は月刊誌も出しているし、週刊誌を出さない出版社の月刊誌、カドカワとか、メディアファクトリーとかスクエアエニックスとか、白泉社とか、少年画報とか、上げたら数え切れないほど会社が、クソ分厚い人も殺せそうな月刊誌や巻頭グラビアアイドル付きの中閉じ雑誌をじゃかじゃか発売している。
今進行している物語って、どれだけあるのだろう仮に500タイトル以上はありそう、それだけでアニメの10倍。と言うわけで、意識されないけれど、マンガの層の厚さとか底力って想像以上にすごいのかなと感じた。
それだけあれば、面白いアニメのタイトル数より10倍ぐらい面白いマンガが存在して当然だろうし、冷静に見れば、つまらないアニメだらけと同様に、マンガもすべてが面白いわけじゃなくて、よく見れば、これでよく金取るなみたいな、クソマンガも多かったり、っていうか自分昔、マガジンはパスして、それ以外のほとんど流通するメジャーマンガに目を通してた時期があった。その時は、次々に重なる漫画雑誌に対抗して読み捨てていくという、血を吐きながら続ける悲しいマラソンをしていたんだった。はっきり言って、しんどい、そんなに面白い興味の感じる話ばかりじゃなくて、面白くもないけど、せっかくだから読まなきゃみたいな作品もかなりあった。
考えると、星の数ほどあるマンガも大半はクソ、優れた物語は、掲載誌の看板作品の数タイトルだけだったんだ。
たくさん良いマンガもあれば、埋もれたダメマンガも多い、相対的にアニメに大した作品が見あたらないのも当然だ。
とか思いつつ、それでも、マンガの水準って高いんだよな。そこらのテレビドラマより、ずっと描き手が物語を面白く見えるように練りまくっていると感じる作品が多いのも事実。まあ中には、忙しすぎで、適当に書いてるなあなんて感じるマンガもあったけど、そういう鑑賞眼からテレビドラマを見ると、なんだこの、工夫のない物語の作り方は、適当に人を出会わせて、芸のない会話とかさせて放してまたくっつけるとか、誰でも思いつきそうな話だらけじゃん、と思ったりして、とにかくマンガの物語の作り方の能力は高いと思う。
原因はよくわからないけれど、マンガの書き手も、編集者も、元々が、面白さの水準の高いマンガを消費して、面白さの基準値が高いんだろう。このぐらいの話の練り具合じゃ満足しない、気の抜けたコンテを持ってけば、編集は「ストレートすぎもっと捻ろうよ、ここのところで、この事を隠しといて、クライマックスで、バーンと」とか、読み手が驚くようにとか、興味を引っ張るようにとか、読者を誘導する演出の能力が自然に高かったりする。(ま、少なくとも、自分の知ってる所はそうだったけどね、作家がえらくなっちゃって、編集がイエスマンになっちゃって作家が堕落して作品が堕落したら終わりだけど)
つまらないと言われる代名詞の邦画なんか及びも付かない。すごい面白いマンガを原作にしているのに、惨憺たる内容だったりする、その辺は資金不足とか、役者不足(いつものよく見る俳優の学芸会みたいな演技)とか、演出力や、面白くしようと言う意欲に掛けるとか、そもそもが面白くしようとか思ってないのかも、邦画だし資金がないし、そんなに面白くなんかならないとかあきらめてたりしていそう、とかに起因するところもあるんじゃないかと思うけど。
比較にならないほど面白いと言われる洋画も、日本のマンガを研究して、面白さという原理を拝借している場合もあるし。(マトリックスとか、映画マンセー、世界の娯楽はハリウッドとか思っている、アメリカの無知な映画バカあたりは、攻殻のマンガとかアニメ見て、マトリックスパクリやがった、日本のエローモンキーが!とか怒り心頭になっちゃったり、とか。)
と、まあ、マンガはすごいことはすごいんだけど、タイトルも多いし、タイトルが多ければ、多様性も発揮できるという利点もある。
昔の人間は、情報も知識も少ないし、娯楽という物は与えられる物で愉しむっていう傾向が強い。野球マンガが面白いんだとマンガ雑誌が仕掛ければ、野球マンガを面白いと思うし、野球アニメを面白いと思っちゃう単純さがあった。
現在は、娯楽が多くて、観客の好みはいろいろと多様性がある。誰もがみんな面白いと思う物語を作り出すようなことは困難になってきている。
根性、友情、勝利、で喜ぶほど単純じゃない。
格闘物とか、勝敗に関わる物語を好きな人間もいれば、好まない人間もいる。
勝ち負けでも、強い者がより強い者を倒す話が好きという人もいれば、普通の人間が強い者を倒す話が好きという人もいるし、弱い人間が強い者を倒す話が好きという人もいる。
というように、万人に支持される作品が作りにくく、大ヒットしにくい時代だ。それでも、発表できる作品の多さで多様性に対応していて、数ある作品から、自分はこれが好きだと、狭く深い深度で気に入る可能性が高く、結果「マンガってすごいレベルで面白いよな」という現象がおきるんだろう、とか思った。
それに対して、アニメの選択肢は50、その中に、マニアックで、面白い作品と遭遇できる可能性など無いに等しい。
まだ洋画のほうが、娯楽産業として作られていて、本数的に、時にはすごい作品に遭遇する可能性が高い。と言っても、ハリウッド大作にそんな現象が起こるわけはないんだけど。
それに加えて、アニメは、本当に、今放映されているタイトルにしかスポットは当てられない現象に陥りやすい土壌がある。今だに、宇宙のステルヴィア、とか言っている人間はいない。過去作品の傑作の息が短すぎる。フィギュア17とか素晴しいタイトルがあるのに、省みられないのが現状だ。
それに対して、マンガの場合は、かなり息が長い。今連載続行のタイトルは単行本で追えるし、しばらく待てば、中古本として流通する。面白い作品ならば、新刊としても、中古市場としても、数年は生き続けるだろう、中古市場が傑作の存在を高い買い取り価格として表示することでそれが結果的に宣伝にもなるし。
マンガは面白いと言ったときの対象は、今連載中と、連載が終了しても、中古市場で流通される数年前の傑作まで視野に入れられる。過去作品も含む傑作マンガと、今放映されているアニメのみを比較することとなり、そりゃアニメ負けるっていうか、マンガって条件いいなと思った。
そしてその上、絶対に超えられない壁が、マンガとアニメには存在する。
マンガは、意欲作が作れるけれど、テレビで放映する作品で意欲作など放送できない。
元々が意欲作のマンガを人気に乗じてアニメ化しても、そのマンガの意欲的な挑戦した危険で刺激的な部分は、徹底的にスポイルされる。
こんな環境で、アニメで意欲作など発生するはずがない。ほしのこえとか、自主制作や、Webアニメという表現の形態は、新しい可能性があるかも知れない。
とかそう言うわけで、マンガは層が厚いから、上澄みの傑作と呼ばれるタイトルも多いし、息が長いしで、傑作が多く見え、アニメは少ないタイトルから選ばざるおえず、その上表現規制はあるし、息は短いしで、つまらない作品が多いように見えるんだろうなあと言う話。
でもやっぱり全体を見渡すと、意欲作の量はアニメタイトルでは少ないなあと思う。テレビメディアというのは大衆化しなきゃならないんだろうな。その中で、テクノライズとか、小中氏が関わったのは意欲作が多いなあと言うこととか、富野作品は意欲作だよなあ、テレビで(それも建前は子供向けロボットアニメで)、爆風で首ちょんぱ、まで表現しちゃう人だったし。