コメント求む

コメント求むのキーワード、自分には興味があって注目していた。
でもなんか見ていて、自分の感じていたこととか求めていたことと違うような気がしてきた。
コメント求む、自分は、そのキーワード自体が、はてなユーザーの声、コメントを求む、とか言う感じで捕らえていた。
例えば、今だったら、「せっかく」のキーワードが、多数の人に削除を受けては、一人の人が戻しているんだけど、どう思います?「コメント求む:キーワードせっかく」とか言うのを作りたいくらいの気持なんだけど、その使い方って、キーワードが、はてな参加者のコメントを求めているという形だけど、実際に、試されている使い方は、自分は誰かにコメントを書かれることを求めています、という解釈なんだなと。
正直、興味があって、見て回っても、なにをコメントしていいかわからないし、またコメントしている人とか見ているとβテスターの古参の人とか勢揃いだったりして、気後れするし、コメント求むのキーワードが特定の人の道具なんだなあ、みたいな気持にもなる。
というか、自分の使い方で、自分はネットというのは、どちらかというと、勝手に書き手が発信して、読み手になにかが伝わればいい、自分が読み手に回っても、誰かの発言でなにかを読みとればいいし、強くコメントを書きこみたいと感じないし、あまり強くコメントを書かれたいとも感じない。
結果として、自然に、思わず書きこみたくなったり、書かれたりということになればいいと言う程度に思っている。コメントを書いたら相手の反応を気にしなきゃいけないし、コメントを書かれたら返事に気を使わなきゃいけないし、コメントのやり取りでコミュニケーションに気を使って消耗するのは本意じゃないし。
とこの文章なんかも、コメント求むと書きながら、コメントを求めることに気を使っていない、コメントを期待するなら、これなりにコメントを書かれやすい形で書かなきゃいけないと思うけど。読みに来た人だってこけじゃコメント書きにくいだろうと自覚もある。特にコメントは求めてない。コメント求むを逆に解釈していたよとか書き記したかった、一応はそのことを主張してみたかったというだけで、主張を伝える道具だと思ってたけど、誰かのコメントを期待する道具だったのかと。
個人的な印象を言えば、私はコメントされたい、という使われ方だったら、それほど魅力的なキーワードじゃないと思う。声を掛けられたがっている人の寄せ餌キーワードだったら利用したいと思わないんじゃないかな。