ベイブレード

難しい話書いてる途中なんだけど、こっちの方書いちゃおう。
いやすごかった、以前のタカオとカイの決着の時に匹敵するぐらい燃えてた。
レイとモーゼスの戦い。モーゼスは、妹にために戦っている、今日は妹の手術の日、うわそうだっけ、あざといなあ。
というか、演出として、ヴォルコフのやり方はずるい、今日が手術の日なのはともかく、それを言うことで、観客の心を掴むのはずるい。一応モーゼスが卑怯なわけじゃなくて、そういうアナウンスで演出するヴォルコフがずるいなあ。
まあ、理論的に考えれば、手術の成功と失敗が、モーゼスの戦いの勝敗に掛かっているわけじゃなくて、まったく関連がないんだけどね。観客はあんまり考えなくて、ヴォルコフの思うつぼにはまっちゃって会場の空気は悪くなる。
そうなって来るとレイの方のメンタルに影響しかねない、大丈夫だと思うが、レイは優しいやつだから、と仲間達の目からは不安を漂わせる。
大人の目で見ていると、当然勝敗と勝負に関係はないこと、ここで手心を加えることは意味がないし、むしろそれをしてしまったらそれは、優しさではなく、自分の弱さに繋がってしまうと言うことは理解出来る。どう料理するかと見ていたら、レイはまったく迷うことなく、自分のベストで戦い続ける。まったく正しい、今さらレイは迷いがあるキャラクターではないし、全力で戦うことが正しいと体現したキャラクターになっている。
モーゼスはそんなレイに怯みながら傷ついて、それでも、妹の手作りの人形を握りしめ、全力で戦い合う。
このへんから、作画演出の方も全力で書き始める。光るし、咆吼し合う表情は猛々しいし、地が割れ、スタジアムは崩壊するし、レイの方の演出は、それほどの逸脱はなかったが、表情や、身体のポーズから、気迫を迸らせると言う演出を取る。
モーゼスの方は、聖獣が、悪魔になり、コウモリの羽を生やし、首狩り鎌で襲いかかるという表現で対抗する。
全体の表現から自分は、レイが勝つが、直後に手術成功の電話が鳴るとかそんな感じかな?と予測していた。勝負には負けたけれど、全力で戦ったから悔いはない、妹も全力で戦って勝ったんだ、モーゼスの全力の戦いを受けてがんばったからだ、ありがとうレイ、という解釈かと思っていた。
実際は、全力の戦いで空中でぶつかり合う、こりゃ引き分けかな?と思っていたら、両方のベイがはねとばされ、モーゼスのベイは、妹のお兄ちゃんという呼びかけと重なり、岩の一部が欠け落ち、モーゼスのベイに当たる。
モーゼスのベイはその岩に当たったためにリングアウトを免れ、レイのベイはリングアウトしてしまう。
妹の兄を思う気持という奇跡で兄は勝利を得るという演出だった。グッと来た。
上手いよ!やっばりベイブレードはこういう演出があるから目が離せないんだなあ。
あと、相変わらずデザイン的な上手さも美しさの原因だ。構図やボーズが美しい構図ではまっているし、ただベイが回っていて、パーンして行くと壁の黒がかぶってくるコントラストの美しさとか、美術的にもセンスがある。