流しのコメント書きさんへのおへんじ

また自己弁護になりそうです……
というか、自己弁護なのでしょうか。また自己弁護が悪いのでしょうか。言葉の問題なのですけれど、自己弁護というと自分を弁護することですが、自分の責められていることを、事実を曲げてとか、詭弁を使って弁護するような印象がありますが、(これを考えるときにそう言われて、そういう意味で受け取りましたが)単純に自分を弁護するだけで、言をひるがえしたり、詭弁を使って自分の間違った物言いを、正当化したつもりはありません。
ニーナの7話でその段階で、気に入らなくて腹が立ったことも、自分の物語の倫理性みたいなものからははずれていると感じたし、そのことは絶対ですべての人がそう思うべきと言っているわけではないし、間違っているとは感じません。こうしたことをするならば見せなければいけない意図を伝える表現を自分の観点からは怠っていた、こういう演出手法は嫌いだ、という話。そのことは今でも変わっていないし、押しつけるものではないですけれど、自分を正当化したとは感じていません。
正直、早まって怒りすぎた感じもしますが、悪意のフォローを一週間後に持ち越すのは自分の物語の仁義的には好きじゃないという話。
そうしたわけで、後々で、詭弁を使って、悪い意味での自己弁護と言うことをしている認識はないと思っています。
言葉が足りなかった部分を補っているわけで、それに関して、後で、説明しなければならない文章を書いた責任があるのではないかと言われたら、申し訳ない、と言うしかないのですが、その時点では、不足していると思いませんでしたし、そうしたことを考慮していたらなにも綴ることは出来ません。
指摘を受けて、なるほど間違っていたと思えば、その点に関しては謝罪しますが、7話8話を分離して捕らえたかのようなこと、もし単体だったら安っぽいという、現実にないことを引き出して、安っぽいと言ったことが、誤りならば、あやります。自分としては、もし単体だったらと仮定のことを言っているのに、それが、作品全体を貶していると言っていることと、繋がらなかったのですが。
ただ一つ、自分でこの事を考えていて、自分の間違いを認識しました。
自分の今の状態は、アニメ鋼の錬金術師に対して、未読の漫画版鋼の錬金術師を過大評価して、アニメよりもっと面白いであろう漫画鋼の錬金術師を換骨奪胎したと、想像していることは過ちでした。自分の考え方は間違っていたと思います。
自分のするべきことは、とっとと、原作を読んでしまうか、アニメを見ても、原作のことを考慮しない、アニメはアニメ作品として単独で鑑賞して、感想なり批評を書くべきだろうと思いました。
あとは、正確なところを知らないくせに、表現を規制されたんだろうなあ、というのも、正当なことではないかも知れないと思いました。ネットの感想書きがそこまで責任を持たねばならない物か、わからないですけれど、記述のさいには憶測であるというニュアンスは添えておくべきだろうと思いました。(○○なのかなあ?とか言ったように)
その上で、感想を書くとか、書いた感想に自己弁護するとかのことを、考えました。
プロの物を書く人間は、物を書いたら、それっきりですね、自己弁護も釈明も解説の機会も与えられない。その分発言するときには、その後のことも甘んじて受け入れるという態度で書いているのだと。
それと自分になにか関係性があるのでしょうか。釈明の出来ないプロの作品なんだから、批判する人間も釈明する態度で、あれこれ書くのはフェアじゃない、という図式は成り立つのでしょうか。
自分自身、一度書いた文章は、改竄するような態度で書いていません。責任を負って書いています。(と言っても、間違ったことは書かないとか言う話ではなく、その時は正しいと思うことを書く、間違っていたら、後で直すとか、削除するとか、そういう事はしない、間違っていたと感じたら謝罪する、と言う程度のものです。第三者に不利益を及ぼして云々とかそう言うところまではなんとも言えません。)
自分としては、説明不足については、説明していると言うつもりですが、それに関しても、後で説明しなければいけないような物を書き散らすなと言われると、自信がありません。
ネットの特性で、第三者の疑問や意見が、等価の位置にあり、説明の手段があるので、対応してしまいますが、どんな意見も、筋違いの非難も、誤読も誤解も、アニメ作品と同等に甘んじて受けるべき、というならば、どんな意見にも「これからもよろしく(^^)」と答えておけばいいのでしょうか。
そんなことを思いました。自己弁護に見えたら申し訳ないです。
自分の奢り(過大評価した幻の原作によってアニメ版を不当に卑しめていた自分)に気が付きました。ためになりました、ありがとうございます。