ゼーガペイン
今週も面白しろかったよ。
キョウの巻き込まれている不思議世界の環境は現実世界ではゲームソフトの世界として認識されているって事になっているみたい。
アクション部分がゲーム扱いとか、やっぱりNG騎士っぽいなあというか、根底ではちょっぴり焼き直し、という意識があるのかなあとか思うとそのことはそのことで、面白いことだなあと思ったり。
というのも、NG騎士から16年たったわけだけど、人やら人を取り巻く環境やらは、変ったといえば変わったかなと思うところもあれば、全然変わってないなあと言うところもあったりと言うところが面白いと。
ゲームの方はファミコンカセットからPS2とかになっているわけだけれど、その変化って、ポリゴンとか画面としての情報は緻密で濃密にはなっているけれど、ゲームの本質は大して内容は変化しちゃいない、とか。
あえていうと、MMOとかオンラインゲームというのは当時には考えられなかったゲーム観念の中もしれないけれど、それによって物語の扱いが変わったかというと、そうでもなく、つかすゼーガペインの物語にはそんなに変化を与えていない、まだ作品としては.hack//の方がオンラインゲームの登場によって物語の新しい描き方を提示しているかなとか。
それよりも別方面で変化を受けているよね。マトリクスとかによってヴァーチャルリアリティとかの観念が一般化して今感じている自分の感覚は本物なのか?みたいな部分は当時にはなかったと。
といっても、キャッチワールドは70年代に既に描かれているわけだし、唯物論とか、哲学上ではあの当時でも考えられていた観点だったんだろうけど。
で、物語の方は、水泳の勧誘ビデオを作ったけれど、キョウの訴えの方は無視されて、プロモ作りの能力としてリョーコの方が注目されたり、モデルになったシズノの方が評価されたり、という状態。
キョウのほうはというと、手に入れたゲームの方に、おれは今猛烈に感動している!という感じで熱中中みたいな。
情況の方は進展無し、キョウの方も戦ってはいるけど、なにと戦ってなにを倒しているのかという認識も疑問もまだ湧いてこない様子、戦いという物がリアルに描かれてもいないし、受け止められてもいない、というところ。
それが悪いというわけではないけれど、とういか、疑問を感じさせる描写もしていないし、この作品の戦いの表現が作為的に歪めているからなのだろう。
そしてキョウは戦いの中のヴァーチャルな現場に降りて、限定空間では自分の肉体が消失するという現象を体験するという所。
話の展開は面白く描けていると思うよ。