バタフライ・エフェクト

見てみたよ。
で、見て思ったのは、ひぐらしの話の構造の事との比較みたいなことを考えたりした。


この話、端的に言えば、悲劇を回避するために、過去に行ってやり直すという、タイムスリップ物というか、人生が二度あれば銃みたいな物なんだけど、単純なタイムスリップという概念じゃないという所が新しいわけなんだけど。


自分でも、時間っていうのはなんだろう?とか、最も説得力のある歴史変換方法ってなんだろうって考えたことがあって、その時に考えたのが、


時間っていうのは今しかないんだよねえ、過去というのはもうすでに実際には存在しない物、観測者である者の記憶の中にしかない物。
(後は、過去の時間が行なった物質に対する変化に過去の痕跡が具体的には残るわけだけど)


としたら、過去を変えるためには、時間を戻ってやり直すというより、自分の中の記憶を変えたら過去が変わった、と同じ事なんじゃないかな?とか思った。
当然自分一人だけの脳内のままだと、ただの可哀相な人、になっちゃうんだけど、もしそれが、自分の頭の中だけじゃなくて、回りすべての人間の記憶を変えられたら過去の歴史を変えたと同じ事になるよな、って思った。


じゃあそのへんどうやるのか?とか考えると、まあ荒唐無稽になって来るんだけど、観念としては、テレパシーとかいう発想もあるし、そういう能力がもしあれば説得力はちょっとは出てくるかなと。少なくとも、時間を戻ってやり直しという観念よりはリアリティーがあるかもとか。


後は、実際の物質の証拠を片づけないと歴史を変えたということの整合性が取れないんだけど、そのへん難しいけど、まあ超能力概念には念動力とか、物を消す力なんてものありそうだし、そういう能力が発揮されたと仮定すれば、それはそれで、歴史を変える方法の観念の一つになるかな?とか考えた事があった。


ちょっと具体的に言えば、エジプト文明はなかった、と変えたければ、人類の記憶からエジプト文明に対する記憶を消して、ピラミッドを消して、エジプト文明に対する伝説や記憶を消去できれば歴史を書き換えたことになる、という感じ。


じゃそうとして、それをどういう形で話にまとめるのかについてはサッパリ思いつかなかったけど、この話、そのへん上手く処理して話にしてたなーと。


この話の方は、主人公が子供の時から時々記憶が飛ぶという。
記憶が飛ぶといえば、乖離性人格障害(多重人格)の人は、別人格になったときの記憶がない、みたいな事があるけど、その観念に近くて、記憶の飛んでいるのが、別人格じゃなくて、未来の自分の人格だった、という解釈になってるのね。


つーか、もしかすると、発想の起源は、自分の記憶が世界を変えるという歴史改竄より、多重人格の時の人格が自分の未来の人格だったら?という所の方が先なのかな?とか思った。


で、今の(っていうか未来の自分が)過去を変えるために、自分の記憶のない局面という過去に帰って、過去の悲劇に繋がっていくエピソードを回避しようと回避策を講じて、何度も悲劇を避けようと過去を変えることを繰り返す、みたいな発想の話だった。


今までの過去に戻ってって言うのは、過去に行ってから、かなりの時間を自分の意思でコントロールしようとするんだけど、この場合は、過去に飛んでいる記憶の一瞬だけで、一撃の効果が世界を変えていくという、そして今に戻ってきて、運命の激変が一瞬で津波のように訪れて、別の世界にいる自分を確認する、みたいな感じ。


そういうのって、どちらかというと、タイムスリップ技というより、リセット技に近い感覚だなあ、みたいに感じた。


この映画は悲劇を回避するという形であって、殺人事件を回避するとか言う形じゃないんだよね。


でそんな物語を見た後でひぐらしを見ると、ひぐらしって、圭一が事件を回避するために何度も過去に帰って人生をやり直しているもと言うようにも解釈できるかなあとか思ったよ。