ブラックラグーン

第二期が始まった、というか何事もなかったように再開という形。


この作品、面白くは見ているんだけど、見ながら、不信感みたいなのを感じつつ見ている部分があって、今回の演出でその事について理解したのですね。


っと注意しておくけど、この事によってこの作品を貶すとか批判するとかいう意図はないんですね。単純に今回の話をケーススタディとして、ある種の演出方法に関する利点と弱点を認識したよ、みたいな話なんですね。


この作品、セリフがカッコイイとか、着想がカッコイイとか、洒脱だなと感じるところがあって、それはいいんだけど、同時にその事に胡散臭く感じるみたいな部分があると。


今回第二期一話目、双子の話で出てきたけど、双子を説明するに当たってダッチが「シャイニングみたいなおっかねえ双子だ」と言ってた。
こういう言い回しはカッコイイ、洒脱だ、ニヤリとさせられる。
でもその半面、そのセリフを言わせちゃうと、ああこの双子のモチーフはシャイニングなんだ、となってしまう。よくない言い方をしたらパクリとか、まあモチーフにしたという事になるんだけど、そうした既存の物をさりげなく上げることで、洒落た表現になる半面、じゃあ作家のオリジナリティは?という事になって作品を通して作り手の作家性が使えば使うほどすり減っていく、という危うい側面もあるんじゃないのかなと思ったという話。


つーかシャイニングの双子で話通じてるのかな
http://images.google.com/images?q=shining+twins&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&svnum=100&hl=ja&lr=lang_ja&c2coff=1


そう言うのが続くと、独創性のある表現の部分まで、どこかの既存の表現の流用なんじゃないかとか思ってしまったりしてしまいかねないと。
今回「心の贅肉は付く」(みたいなセリフ)は良かった。昔は隙がなかったのに、年月と共に脂肪が付くように、油断が生まれてしまうと、今回の失態について言うわけだけど、すごくカッコイイと思うんだけど、もしかするとそれもどこかのハードボイルドな作品で使われてる表現なんじゃとか思ってしまうという、素直な観客になれなくなって来ちゃうんだよなあという。


実際、今回の双子のセリフも、カニバリズムとかネクロフィリアとかチャールズマンソンとか、思わせぶりなセリフをいろいろ行ってたけど、それって猟奇系の話題(用語)の羅列だよなあとか、自分が知ってるジャンルだけ見ると結構浅い部分もあったりするし。


と言うわけで、面白く見てるけど、どうなんだろう、という不信感を感じつつ鑑賞しているんだなあと、不信感の理由がわかったという経緯。