あさっての方向。

二回目。
前回の感想の最後は我ながらヒドイネ、変身シーンなんだけど、ながら見だったから、大人が子供に、子供が大人に、と変身してるのに先入観で精神の入れ違い物だと思ってたのでそう言うシーンだと思ってた。


身体が変化したとなると、見た目が変わってしまったし、誤魔化しがきかないがきかないなあと思ったけど、話の方も、変異に対して誤魔化さずにアプローチしていて書きにくい情況に取り組んでいて好印象を感じました。


有り得ないことなんだけど、もしあったらという過程で考えられて作られているようなので面白く見られそう。
今回見ていて思ったのは、大人が子供になったら、大人にとっては子ども時代は一度通ってきた道だから、肉体の変化に関しては混乱しないだろうけど、有り得ないことが起こったという理論的な部分では困惑するだろうし、
一方子供の方は、大人になると言うことは未知な事で、肉体の変化に関しての混乱の方が大きくて、理性的な部分では、小学校低学年ぐらいだったら有り得ないことが起きたと言うよりは、知識も少ないし、なにかの病気で急に大人になったのかもとか思うかもしれないし、理性的な部分の困惑は少ないのかもなあとか、二人の対応の違いを見ていて思った。


なかなかそう言うところを面白く書けているし、からだが椒子のカバンを引っ張るところとか、肉体が大人になっても精神は子供なんだなあと感じさせる描写で感心したりして面白く見られそう。


二回目の感触が適当だったので振りかえると一回目の重苦しい雰囲気の描き方はなんとかならなかったもんかなーとか、まあその辺は、椒子が子供に変化してしまったことは、その時はからだの存在に嫉妬していたから子供の身体になってしまったのだろうし、ああいう描写は必要だった、のだろうとは思うけど、印象悪く感じられる要因になってたよねえ、と。