パンプキン・シザーズ

回りの伍長への認識が都合がいい話についてのこと。

通りすがって 『>この頃の話はこういう調子で展開が遅い
>(というか登場人物の思考力が低く設定されている場合が多い)のかな。
パンプキン・シザーズは、最初は1話完結読み切り漫画(アニメ版の第1話が相当)で、
後で連載が決まって、その際、読み切りから仕切り直しせずに、
続編として物語を軌道修正したから、
仲間が疑問に思ったりするのが後回しになってしまってるんですよ。』

とのこと。
原作自体がスタートで混乱があったから、ということらしいようです。


っと、自分の言及はアニメを見てでの感想で、原作自体に対してまで、面白いとか面白くないとか、ダメとか良いとか、及んでいないのでその辺は理解してくださいね。(っても、アニメの不備の原因が原作にあるというのならば、アニメの内容を批判すれば、そのまま原作批判になってしまう気もするのだけど、やっぱり読んでいない物に対してどうこう言っているわけではないし)


としても、じぁあ原作での諸事情によるスタートのもたつきって言うのを、アニメ化の時に再構成するとか、体裁を整え直す事は出来なかったのかな?と思うんだけど、そこはそれ、下手に手を入れると原作ファンからの反発もあり得そうだし、結構話運びが根幹から狂いそうで手を出しにくかった、という所もあるのかな。


原作がそうだった、という現実はそれとして、実際にそう言う形で物語を作っちゃった制作側の事情みたいな事を考えてみた。(ってやっぱり原作がもたついて構成に手を加えるとバランスが狂うのでそのまま描いちゃったと言うことなのだろうけど、それはそれで、パンプキンシザースと言う作品だけの話じゃなく、その他の作品にもこうした、観客としては違和感を感じるんだけど、書き手の都合のいい展開で物語を描いてしまう情況という現象に対してどういう事か考えると言うことで)


こうしたことがおこる事情として三つの事が考えられる。


1、作り手が描写の矛盾に本当に気が付いていない(今回の場合だと伍長の超人的能力を誰も疑問に思わないと言うこと、ネ)
2、作り手も認識しているんだけど、まあ観客は気がつかないだろう、とか観客の認識力を舐めてるから
3、作り手も認識していて、観客もその矛盾に気が付くだろうと言う認識もあるのだけど、諸事情によって仕方がなかったんだよ、という場合


とかとか。
今回の場合はどうも原作がドタバタしているんだけど、上手く手直しが出来なかったからそのままに、という事なのかもしれないね。
ことに、話が進めば、その事に気が付いてくると言う展開だし、作っている方も認識しているのだろうけど修正が付かなかったというか。


仮に1が原因だったらそりゃ作り手の能力を疑ってしまう。(原作の方だと、ページ数の関係で、判っちゃいるけどそんな描写はしている余裕がないとか色々と事情はあるのだろうなとは想像できるし仕方がないだろう)


2としたら、それはそれで、作り手が観客の理解力をバカにした話だと思う。
この作品がそうだというわけじゃなくて、昨今の作品の作り方って、かなり浅いというか、適当に考えて考えなしで描かれている作品も多い気がしていて、その辺どうしてそういう書き方をするんだろうと、常日頃から疑問に思ってるんだけど。
たまに再放送の作品とか見ると、話の中で登場人物が色々考えていて、思慮深く考えて行動していて、それが描写にも出ているシーンとかを目にしたりして感心するんだけど、そうすると同時に今の作品はどうしてこうも登場人物達は考えなしに稚拙に行動しているのかなあと感じてしまうことがあるんだよね。


その辺、作り手がバカになっているからなのか、見ている観客の方もバカになっているからなのか、不思議に思ってしまう。
そういう事って、アニメにだけにおこっている事じゃなくて、例えば今放送されているクイズ番組にも言えるんだよね。
今のIQサプリとか、サルヂエとか、年々内容がバカになってると感じる。昔の所ジョージとかが出てたマジカル頭脳パワー!! とかまだ内容が今より高度な問題が出てたと思う。


そういう事を考えると、今の作り手や観客が、読み込みが浅く作っていたり、鑑賞側も浅く見ていたりして、そんなことにも気が付かないのかとか、鑑賞力が弱くなってきているのかなあと思ってしまうなあという。(こういう形で書くと老害アニメファンの毒づきという事になってしまうのかもしれないけど、実際としてパンプキンシザースの伍長の能力に対して誰も不審を感じない、という描き方をしてしまうスタッフの思慮にはどうよ?と思ってしまうんじゃないかな。まあ感想サイトのほとんどが今回の展開には今ごろか、と、描写の都合良さに気が付いているようだし、鑑賞者の理解力の低下ということはないと思うけど)


まあ一話目は誰も目撃していなかったけど、二話三話の戦車打ち抜きとか岩石砕きとか目の当たりにしていてその能力の脅威を疑問に思わないとは……、と考えていたら、第四の原因とかに気が付いた。


登場人物達は伍長の超能力に気が付いていない、というごまかし方があるかも。
観客は現実のテクノロジーを知っているから伍長の能力は現実には有り得ない超技術だと言うことは理解出来るし、登場人物の知ることのないナレーションで伍長の出所とか不可知の九番とか聞いたり見たりしているから把握しているけど、登場人物達は情報がなかったり知識が乏しいから、伍長のオーバーテクノロジを目の当たりにしていてもそれがオーバーテクノロジと認識していなかったのだという。


そう考えると、今回メガネ君が、博士の話を聞いて、伍長の銃が超兵器だったと認識して初めて伍長の出所に疑問を持ったわけだし、登場人物達が気づいていなかったという解釈なら説得力はあるかなと。
ただそれならばそれで、まわりの人間がその事を認識していないという描写をすべきなんだよね。
仕事の後に飲み会でもして、今回の伍長の活躍を無邪気に賞賛するとか、伍長の銃に興味を持って「こいつスゲえな、撃ってみてもいいか?」「いいや撃たない方がいい(凡人には耐えられないから)」とかそう言うやり取りがあれば、見ていても違和感はないと思うんだけど。


とか作っている側にそう言う思慮深さが減少していて、アニメの物語の質が低下していて、見ていても面白くないよ、表面上の面白さばかりをなぞっていてちっとも感心しないし面白いと感じられないよ、と思ってしまう局面が多いんだよなーという。


あもちろん、だからパンプキンシザースがダメなのだ、と言うわけじゃなくて一般論としてなんだけどね。
総じてパンプキンシザースはその辺ちょっと惜しいという程度で、全体的には面白いし、ダメな作品は素から箸にも棒にも引っ掛からないような面白いところがなにもない上に思慮浅い構成と演出みたいだったりして、語る価値も無いということになるし、語りぐさになれるパンプキンシザースはそれだけ良作だと感じているし評価もしているんだけどね。

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