がくえんゆーとぴあ まなびストレート!

あはは、なんじゃこの展開は。


大昔、後藤寿庵が、美少女同人誌を作ろうとしたら出来上がった本は革マル派の機関誌になってしまったというネタがあったけど、宇宙刑事モーモーとか宇宙刑事ヤニーとかその辺、そのまんまみたいな気分になったよ。
おかしいなあ、自分萌えアニメを見てたはずなんだけど、なんでこんな事に!(笑)みたいな。


その辺も、フタコイユーフォーテーブルはこんなもんだ、みたいに警戒してるので承諾済み。


それでもなんだかなーと思ってしまうのは、生徒会以外の生徒が、学園祭中止のことをどう受け止めているのか、描かれていないところ。
初めからこの展開にして、生徒は乗ってこなくて、学美達が空回りする、という展開を予定しているから、そう言う流れに描いているんだけど、じゃあどうして生徒は乗ってこないのかという理由にまでは興味がないというか、思慮しないと。


その辺、先生がラーメン食べてでいきなり学美がドロップキックカマしてくるところとか、まともに考えたら、職員室に入ってくる段階で気が付くだろう、とか他の先生が制止するだろうとか、考えたらまともな描写じゃないんだけど、様式としていきなりキックは正しいので、野暮なことは言うなというのは判るけど、この場合の、生徒達はなんで乗ってこないのかみたいな事にも、これも様式だから、気にするな、というのとは、ちと問題が違いすぎなんじゃないか?と思うんだけど。


まあその辺の大雑把さも、悪い意味で、コヨーテラグタイムショーで体験済みなので、まあこんなもんだろうと、無理矢理了承済み。


ただやっぱね、現実の感覚で言うと、学園祭が学校の事情でなくなりました、という事になったとして、なんの抵抗もせずに受け入れてしまう学生っていうのは説得力がないね。
2035年とか、社会情勢が違って、価値観が変わっているとか、そう言うことで言い逃れようとしているのだと思うけど、それならそれで、その時代の説得力みたいなのを見せてくれないと、受け止めることは出来ないよねえ。


きっと少子化で、子供の数が減って、子供は学校などへ行かずに、さっさと社会人にしてしまおうという風潮があって、そのために社会人になる方が楽で楽しいって要素があるんだろうけど、それに抵抗して学校へ行くことを選んでいる人間の価値観とか、その辺を理由にしたいんだと思うけど、明確に提示できていなかったり、変に凝るところは凝るんだけど、興味のないところには大雑把だよなあと。