ファンタジックチルドレン

キーワードから人が来すぎです。
つかここへ来て人気あるというか、なにか他人の意見を求める要素が出てきたのかな、と感じた。
他所の感想を読むと、Fチルという作品に対して今は転生の構造をミステリーとして楽しんでいる観客が多い印象だった。
ヘルガがティナの転生(ていうか中の人)っていうのは明示されてる事実として、トーマがソランなんだろうとか、じゃあセスは誰なんだとか転生してるのか、とか。


自分は素直にトーマがソランと思ってたり、とりあえず現実としては、トーマが絵に見覚えがあったり、不思議な夢を見ているという事実から作り手はトーマも因縁があるよと明示している。それがはたして誰なのか、というのは気になるけれど、物語として、誰がトーマか?というミステリーでこの話を楽しんでもらおう、という意図はあまり感じないから、その点についての詮索がこの話の楽しみ所とは思ってない。


確かにセスの表現は、この後なにかあるという感じだけど、セスも転生の運命に巻き込まれてるのか。
チットさえ誰かの転生でという運命的な解釈もあるみたいだけど、今のところチットにもなにかあるという明示はされてないし、単なる偶然と思いたいな。チットまで関係者だったみたいなのは物語の作為性が強くて世界観が小さくなっちゃうし。


ゲド機関の女博士は、ガクブルしたり、なにかと普通じゃないところも明示されて、当然誰かの転生、単純にベフォールの子供の中の職務放棄して記憶の固定を拒否した一人だと思ってるけど。


今のところ謎なのがゲド機関の重要人物の白髪の青年とか、青年が姉さんと呼ぶ復活させたい人物とかが誰なんだ、どういう構造なんだ、と気にはなるけど、やっぱり、誰が誰なんだ、という謎が物語の魅力だっていうのはちょっと違和感があるというか面白味がないというか(誰が誰の生まれ変わりだってだけが物語の存在意味だったら物語として面白味がないし)


とすると、自分はこの作品になにを求めているというか、物語の提示すべき魅力ってなんなんだろう?みたいなことを思ってるんだけど、なんなんだろう。
やっぱりなにか、現実を生きる観客として、見手のなにかと繋がる物が必要なんだと思う。
厳窟王は、アルベールや伯爵の人間性に引かれてその運命を心配したり、復讐が成功するかとか復讐の虚しさとか、各登場人物の運命を自分の友人かのように気になったりするところが観客と、数千年後の物語世界との絆みたいなものかなと思うんだけど。


ちょっと自分には今のところFチルの登場人物を自分の友人のように感じることは出来ない。
つか、今まで物語としてつき合ってきたトーマやチットやヘルガには親近感があるけど、新参のソランやティナという物語上の過去の人物の運命を知人のように感情移入できない。


とはいえこれ、御伽草子と同じ構造で、平安編がすっかり現代編への壮大なネタフリだったと言うのと同じ構造だったりして、時系列的には、初めにギリシア編をやってから転調して地球編にする方が素直だけど、果して初めからギリシア編では物語に入っていきにくいというか、地球編をやってからギリシアに持っていった方が面白い(考えると御伽草子の構造はこの作品と逆だ、現代編をやってから平安編を見せるというか)し、ギリシア編が面白く感じられるはずで正解なんだろうけど、欠点としてはやっぱり感情移入しにくいと言うか物語が作り物じみてしまうというか。


ただこれ、こうしてギリシア編をやることで、御伽草子が現代編になったときに異様に面白味が立ったように、転成後の過去話をやって現代地球編にまた戻したら、ヘルガとトーマの運命や恋愛話がどれほど面白い物になるか、今はまだ面白くなるための準備段階なんじゃないのかと。

今のところ自分はこの作品には、何万光年も離れた距離を超えた想いとか、何百年も望郷の思いに翻弄されるとか、遠い距離や長い時間の持つロマンスみたいなもので自分とは関係のない物語に惹きつけられたら心地良いかなとか思ってる。


つかある意味ラブシンクロイド!というかそれに似たロマンスなんじゃないのかなーと。
弱いんだよね、恋心とか「想い」という力で物語がちゃんと動いていく話って。そう言うのが目的な物語だったら好みなんだけど、まだそうとも取れなくて、この話はなにを描きたいのか判りにくい感じだなと今のところは思ってる。