円盤皇女ワるきゅーレ〜十二月の夜想曲

http://www.tokinoyu.net/
第二期、程良く肩から力抜けた感じで脱力作画が見られて良かった。ぬるま湯で癒される感じ。
この世界観の調子でいけばいいんだけれど、来週からまた、波乱要素が加わってくる様子。
エンディング、シロッケンハイムが踊ってるような脱力物じゃなかったのが物足りなかった。
あたしゃ、真田さんがシャーっとワル様を愛しているところが見られれば幸せです。

ザ・ビーチ

ここで書くべきじゃないかと思いつつちょっと似たような気もしないので書いてみる。
噂は色々聞いていた。評判悪いとか。タイタニックで人気性も頂点に達したレオナルド・ディカプリオが選んだ作品が、ザ・ビーチだけれど、ことごとく評判か悪かったとも。監督のダニー・ボイルトレインスポッティングで評判を上げた後の次回作と言うことで、大作映画になるはずだったのだけど、とか言う裏話。
特に期待もせず、テレビ放送だからと、膝を正してみるまでもなく、ネットとかしながらチャンネルを合わせて、チラチラ物語の骨子だけ眺めながら見ている分には、なかなかちゃんとした言いたいことのある物語だと思えた。
つまらない生活を送っている青年が刺激を求めて旅にでで居るけれど、刺激は向こうからやってこないし、本人も結局のところ、新しいことを求めてやしないんだ。刺激を望みながら、自分の価値観を変えることもなく、結局旅に出て、非文化地帯を歩いているけれど、清潔を求めていたり、合理性を求めていたり、安全性を求めていたりと、自分の領域を出ていない。
と、楽園の話をするジャンキーが、手首を切って死んで、謎のビーチの地図を残して死ぬ。レオは、それに刺激を求めて向かうと、楽園の場所は、大麻畑、マリファナの楽園だった。
それは現地人が支配する麻薬畑だった。命からがら逃げ出したレオ達は、若者のコミュニティーを見つける。そこは楽園、密輸団と話を付け、マリファナを栽培し、それを売って、ダラダラした毎日を暮らせる極楽の世界だった。
すぐにはまるレオ達。しかしその楽園は歪んでいた。楽しみはヴィデオゲームだし、魚の生臭さは嫌い、たまに買い出しに行くと、歯ブラシにリステリンと、文化的生活を縁を切れない若者達。
とかね、わかりやすく、直球すぎるほど、現代文化や、消費文化を批判する。今の若者や、文化の薄っぺらさを指摘しまくってる。
そういう部分を見ていると、ガンダムシードとか連想しないわけじゃない。つか、リヴァイアスとかも、戦争や、集団生活にリアリティーを感じられない感覚とか、通じる物を感じた。
表面上は綺麗な世界。自分の心や、気持行動や欲望まで、綺麗な理想郷通りに行動できれば問題はないんだけれど、心の中には、自然本来の荒々しい欲望が渦巻き、動物的な側面を持ち、おのれの行動を道徳や自尊心で律することも出来ない生々しい野獣の心の、綺麗な人間の皮をかぶったケダモノの現代人。
そういう感じがした。仲間が傷ついても、自分たちの楽園を守るために病院には行かせず、ここで治るか死ぬ死か選択はない。あまつさえ、苦しむ人間が身近にいることを嫌い、密林に生きたまま放置する、現代人の持つスマートさと醜さをあらわした表現だった。
とか、イギリス人のブラックでシニカルな部分、消費社会に対する疑問、ドラッグにゆれる国内、色々反映していて、作られるべき物語だったと思う。アメリカ受けはしないし、アメリカに毒された日本の観客にはピンとこないんだろう。というか、日本人の生活は、あの楽園の生活に近いんだろうし、なんでよくないのかわからん?とか思うんじゃないだろうか。
そして密造団にあの楽園を破綻されるように、日本の悦楽も異邦人に覆されていくのだろう。
なまじ、デカプリオとか、大作映画化された事が評価を落したのだろう。斜めに見ている分には、演出とか、長さとかがシェイブされて、メッセージだけが伝わってきて、良い作品にかんじられたのでした。
あと、楽園というと、雨狼とかも思い出しちゃったり。

マーメイドメロディーぴちぴちピッチ

むらさきマーメイド、かれんの続きの話。
リナが知り合いに似ていたと気にしていたけれど、かれんはリナを助けた北極海のマーメイドノエルの双子の南極海のマーメイドだった。かれんがるちあ達に硬化な態度をとっているのは、リナがノエルを見捨てて逃げたと思っているからだった。勘違いだから後で仲良くなれそう。
リナはそれを気にして考え込む。はのんはほっといてくれと言うリナの態度に気を悪くするが、たろーちゃんがむらさきのマーメイドを見かけて悩んでいて、今は話したくないという態度からリナの気持を理解する。るちあもそのことを海斗に相談して、そう言うときはそっとしておいてやるというのを聞いて理解する。もー、オスキャラをこういうことに使うところがぴちぴちピッチらしいんだけど。
新しい敵キャラの登場、説明らしいことも、新キャラの登場にわざわざ盛り上がるエピソードもなく「呼び寄せた」とかだけで話を展開するところがぴちぴちピッチらしいんだけど。と言っても、後で見て思ったけど、ブラックビューティーシスターズは百合百合で十分キャラ立ちしてて、わざわざ手をかけてキャラ立てする必要がないのだった。
ブラックビューティーシスターズはかれんを連れ去る。リナが追いかけようとするとるちあとはのんも駆けつけ一緒に助けに行こうという。
るちあ達はブラックビューティーシスターズの前に立ちふさがる。(この前のかれんとブラックビューティーシスターズの会話で、かれんが「あの人達は助けになんて来ないわ」とか言わしておいたらもっと効果的だったと思った)
歌を唄って、いつものように解決かと思えば、歌はブラックビューティーシスターズには通用しないようだった。逆にブラックビューティーシスターズたちに唄われて苦しむるちあ達。
をを!延々工夫もないワンパターンの展開を半年近く見せつけられた観客としては、あまりのパターン崩しに別の話を見ているみたいな気分になった。その上、マーメード達より上手いし、振り付けは百合百合しているし、コスチュームはアヤシイし強敵デスヨ。
かれんの光で逃げるのだった。リナはもう逃げたくないと抵抗するんだけど、はのんは自分たちが今捕まったらどうやって助けるのと引っ張って行くのだった。
ブラックビューティーシスターズの登場でなんだか強烈に面白くなってきました。

ロックマンエグゼAXESS

http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/rockmanexe_axess/
ロックマンアニメ第二段。感心したので語っちゃうかも。
前作は、それなりに見ていた。キッズアニメだけど、時々感心もさせられた。監督がゾイド加戸誉夫氏のせいか物語の娯楽性の水準は高い。前作と違和感なくレギュラーで書かなくても感心したときは感想を書きそう。
今作の目玉は、前作のクライマックスで、ネットデーターが現実世界に実体化して混乱が起きたというのを上手く繋いで、その現象からネットデーターと人間がクロスフィージョンする技術が父親の手で開発されて、現実の世界でロックマン熱斗が活躍するという表現を出来るようになったと言うこと。現時点では、ディメンショナルエリアの内部でしか出来ないが、将来は宇宙空間や救助活動に役立てる予定だという。このへんちゃんと社会的利便性があって、設定が子供だましじゃなくて説得力があっていい感じだった。
冒頭で父親の研究シーンから、クロスフィージョンはまだ未開発で危険性や苦痛がありそうと表現してから、研究所がウイルスに進入され、クロスフィージョンするしか窮地を脱せないとして、熱斗にクロスフィージョンをさせる演出なんかも、堅実に上手い。
電脳空間で一度対決させてから、そのキャラを現実界に実体化させ、クロスフィージョンした熱斗ロックマンで再び戦わせる。クロスフィージョンしたことでパワーが上がっていると言うところもいい感じだった。巧みな演出術が続く限り見る価値のある面白いアニメですよ。

カレイドスター

総集編なんだけど、番組フォーマットを崩してまでの丁寧な作り。見損ねた第1話の雰囲気は見れたし、やっぱり感激できた。ゴールデンフェニックスの回、ディアボロの回、とか思いだしては三回ほど感涙してしまったんですが、ほんとに泣かせ上手なタイトルだなあと。
土曜の朝が質が高すぎてどうしようと言うくらいすごいことになってるなあと改めて思ったり。今回は特に、ロックマンカレイドスターと続いて、水橋かおりさん藤原啓治さんヴォイスが聴けて、たまらなかったです。

鋼の錬金術師

ハガレンってキーワードあったような。アニメで初見。元々錬金術については興味があってだいぶ予備知識があるせいか、特に目新しい物はなし。

ヘルメス神
ギリシャ神話の人物、エジプトではトート、ローマ神話ではメルクリウス神、いず れも水銀を表し、錬金術の守護神で、正確には、ヘルメス・トート・メルクリウス・トリスメギトスという。
エメラルドタブレット
ヘルメスの手になる、エメラルドの板に記された、錬金術の秘法。
賢者の石
錬金術師の作ろうとしたものは、金ではなく、賢者の石だった。これさえ作れれば 、金属を溶かして、そこに賢者の石を入れるだけで金は手に入るのである。賢者の石 は本当の石ではなく、ルビー色の重い粉末であったり、赤い透明な液化可能な石である。
パラケルスス錬金術
パラケルススの医療の根底には錬金術の三代要素を利用したといわれる。物質を流 動的にする水銀メルクリウス、可燃性にする硫黄スルフル、凝固させる塩サルを重ん じていた。
カバラ
パラスケスは錬金術師としての能力をカバラの秘術で得ていたと考えられる。薔薇 十字軍の創設者の一人としてあげられたのではないか。当時困難であった放浪を、あ れほど続けられたのは薔薇十字の成員であったのではないか。秘密理に十字軍のバッ チを見せれば、無料で食事も宿も提供を受けられたという。

とか。見ていて出てくる言葉は、シャーマンキングって面白かったよなーとか。普通に見て、特に感想もなく鑑賞するんじゃないのかな。感心したらなんか書くけど、錬金術のこととか、鎧になった弟とか特に驚きがなくてあまり気の利いたことが書けなさそう。

少年・少女、アニメばんざい

えーと、今日の土曜の朝のアニメ作品なんか、なかなかに感心した。
で、感想とか書きながら、今ひとつ歯がゆい思いを感じつつ書いていた。そのことであれこれ考えて思ったんだけど、結局自分の感想というのは、自分で見ていてあれこれ思ったこと、カッコイイとか、面白いとか、感心したとか、そうした情動の振幅で平凡なラインをはみ出したところ、ふーんだけで済まずに面白いとか、なるほどとか思ったことを理解して、どうしてそう思ったのか、そのことを書こうとしていると言うことなのだと思った。
もちろん面白かったとか、プラス方向だけじゃなく、負の方向の、つまらないとか、くだらないとか、ふーんで済まない感情の部分についても、どうしてつまらなかったのかと考えて表現しようと言うのもある。
そう言うことをすることによって、自分の物を愉しむ感覚を維持しようとしていたり、自分の趣向を把握しておこうという意図がある。そうすれば物語ももっと楽しめるし。
普通観客はそこまで考えてはいないのだろう、漫然と見て、面白かったとかつまらなかったとか。もちろんそれはそれでいいし、幸福なことかもしれないし、不幸なことなのかもしれない。
それを文字によって表現しようとか、定着させようとすると、かなりしんどい部分もある。というか、自分は物を書くことはそれほど苦痛じゃないんだけど、今日の朝の番組は書いていて、辛いというか、負文章の表現に自分の力不足なんかを感じたりした。具体的に言うと、自分の感情の揺動の振幅と、文章の面白さが一致していなかった。気持はこんなに喜んでいるのに、この喜びを自分の文章に反映させられていないと感じて歯がゆかったのだと。
とかそれはそれとして、どうしてそう感じたのかというと、自分は自分が考えている以上に前作のロックマンエクゼを愉しんでいたり期待値が高かったのだと改めて思わされたのだ。
リバイバルで戻ってきて、またあの時間が楽しめるのかと思うと、楽しくてしょうがないと、ああこんなに自分はロックマンエクゼが好きだったのかと、改めて驚く。
何気なく、ベイブレードの続きで眺めつつ、仕事から帰ってきてくつろぎつつ眺めていたり、夕食を取りつつ眺めていたり、仕事帰りにコンビニで買ってきたスナックとかつまみつつ眺めていたり、そんなシチュエーションだったんだけど、随分と日々の緊張をほぐしてもらっていたのかなと。
ゾイド再開でそれが蘇るかというとそうとも思えない、カプコン繋がりでパワーストーン再開でもダメそうだ。と考えると、同じような気持になるタイトルはなかなか無いような気がする。
と思っていたら、メダロットなんかそれにかなり近いような気がする。
両方に共通するのは、小学生ぐらいの少年が活躍する話だったり、主人公に友という相手がいて、それが、少年の自分の理想像を反映しているのだろう。ロックマンみたいに能力を欲しかったり、メタビーみたいになりかかったりと、理想化した存在なんだろう。
そんな構図を思っていたら、それは性別を変えた場合、女児物としたらあるんだろうかと思ったら、魔法少女物は、小学生の女の子が主人公で自分が変身する魔法少女は、自分の理想を反映する物語で、同じ文脈なんだろうと思った。
で、このところ、あまり直球な、小学生が変身にんて物語はあまりなくなってきてるような気もするけれど、確かに自分、魔法少女物も、鑑賞するのは好きだったなあと、改めて、少年向けアニメ、少女向けアニメの文法の作品に愛着があるんだなあ、とか思ったのだった。
ある意味、萌えアニメとか、オタ専用作品より求めているのかも。作品を現実逃避の手段にするのも不健康だけれど、現実のめんどくさいことを一時心の底から忘れて愉しむには、オタ萌えより、児童向け作品の方がリラックスできるかも、というか、オタ萌えはマジ物の現実逃避道具すぎて没入する自分に抵抗を感じるのかも、とか思った。